【MAD】Waltz For The Endの話

あけましておめでとうございます。Pluviaです。
2022年もあっという間に終わりまして、2023年になってしまいました。
年々、1年が過ぎるのが早くなってきており、焦りを感じる今日この頃です。

さて、2022年の年末にNGFというノベルゲーのみを対象とした静止画MADイベントを
開催しました。

MADMAXの裏番組ともなっていたので、あまり見れていない方もいるかもしれませんが、普段はあまり投稿されないノベルゲー、ギャルゲ―、エロゲーといったADVジャンルのゲームを題材としたMADが沢山提出されました。
(本当に物凄い量とクオリティで驚いています。

今回の運営にあたって、いつものように朝奈さん、KAZAMIさん、いざなぎさんと協力しながら、開催をしています。
NGF運営に協力いただいたメンバー、参加いただいた方々、見ていただいた方に
ただただ、ありがとうという気持ちでいっぱいです。

 

NGFについては僕も参加者の一人として提出したので他の人を真似て少しMADの編集メモのようなものを書いてみようかと思います。

あまりこういったMAD解説の記事は書かないのですが、久々に書こうと思います。僕はあまり映像に興味がないのにMADを作っている変な人間なので、
そういう人間がどんなことを考えながらMADを作ってるか、、みたいなところで参考になればと思います。
(不条理狂詩曲も書きたかったけど、断念してしまった…!

 

今回投稿したMADはこれ↓


内容としては(1)タイトル (2)曲 (3)テーマ (4)技術
あたりに分けて書いていきます。

 


(1)タイトルの話

タイトルはビル・エヴァンスの名盤、「Waltz for Debby」から取っています。
ビル・エヴァンスの中でも屈指の演奏だと思いますので興味がある方はそちらも
聞いてみることをお勧めします。
本来であれば、「Waltz For Fillia」か「Waltz For Hadaly」としてしまっても
良かったのですが、あまりにストレートな気もしましたので人名ではなく、
「終わり」に対してのMADということでこのようなタイトルとしています。

 

(2)Magic Waltzの話

今回、使った曲「Magic Waltz」は1998年に公開された「海の上のピアニスト」という映画の中で使われている曲となります。
この映画ですが、イタリアの巨匠、ジュゼッペ・トルナトーレエンニオ・モリコーネが音楽を手掛ける夢のタッグのような映画で劇中の至る所でピアノ音楽が使われています。
この「Magic Waltz」という曲、意外にも映画サントラに入っていません。(サントラ見てないことに絶望したのをよく覚えています)
ただ、映画内での使われ方が非常に印象的だったため、ファンも多く今でもピアノでの弾いてみたなどがyoutubeに上がっていたりします。

海の上のピアニスト」について簡単に解説すると豪華客船ヴァージニア号で生まれ、生涯を終えたピアニスト「1900 T.D.レモン」という男の話です。彼は船上で生まれ捨てられ、黒人機関士のダニーに育てられますが、いつの頃からか豪華客船内で設置されているピアノのとりことなり、船でピアニストとして活躍するようになります。
彼は陸が近づいても船の中の世界以外を知らないため、絶対に下船することはなく、ただ船上でピアノを弾いて暮らします。
そんなある日、物語の主人公とも言えるトランペット吹きのマックスと出会います。
そして、そんなマックスとの印象的な邂逅のシーンでこの曲が使われます。

 

僕が解説するより見た方が早いのでyoutubeの動画を貼っておきます。


www.youtube.com

「ピアノのストッパーを外せ」と1900が言ったので、船の揺れに合わせて
ピアノが乗り物のように動いているんですね。
マックスの笑顔の表情からも分かる通り二人の心が通う名シーンです。

以前からこの曲を使おうと思っていたのですが、この曲の優雅さや深みに合うような
ノベルゲーに全く巡り合わず10年近く経ってしまいました

僕が「Magic Waltz」を聞いてイメージするのは「二人だけの旅」
劇中の映像にもあるように船の荒波もあり、乗り物のようになったピアノが
二人を運んで優雅に旅をしていくイメージです。
「終のステラ」もジュードとフィリアの旅がテーマで、その旅は過酷ながらも
二人の気持ちが通い合う瞬間がどこか優雅で美しい作品だと思いこの曲を使っています。

もし、少しでも「海の上のピアニスト」に興味が出た方は名作なので、是非見てください。ジュゼッペ・トルナトーレエンニオ・モリコーネのタッグは「ニューシネマパラダイス」もやってたりしますが、個人的には「海の上のピアニスト」も負けず劣らずの作品だと思っています。

 


(3)Waltz For The Endのコンセプト、テーマ

今回のMADを見ていて、初見の人は登場人物の気持ちが乗ってこなかったのではないかなと思います。
つまり、ジュードやフィリアが何を考えているのか、ほぼ読み取れなかったという感想が多数ではないでしょうか。
その理由はとても簡単でこのMADが登場人物のセリフを一切使ってないからです。

これがこのMADの特徴で物語としてのエンターテイメントや登場人物への共感という目的を捨てて、「アンドロイドという存在は何なのか?」という命題のみに焦点を絞ったためにこのような形になっています。

この「アンドロイドという存在は何なのか?」という命題に対して、過去の創作物や哲学の思考実験を用いてアプローチをするとどのように「終のステラ」を再構成できるのか、このあたりが今回のMADを作る上での最大の目的です。


基本路線は引用①~③のセリフで終のステラを表現しつつ、映像表現として引用④~⑩の小物で舞台設定やテキストの内容をフォローする形で作成しています。

 

・引用①「未来のイヴヴィリエ・ド・リラダン

ヴィリエ・ド・リラダン執筆の世界で初めて「アンドロイド」という単語が使われた小説です。
この作品は終のステラのクライマックスでウイレムが「エワルドにとってのハダリーに過ぎない」と引用しています。

簡単に本の内容を書くとトーマス・アルバー・エジソンが人間にどこまでも近づいた機械であるアンドロイドを作りだしエワルドという貴族に提供する話です。

エワルドはミス・アリシアという女性に一目ぼれをするのですが、精神が美貌に伴っておらず、エジソンに相談するという展開から話が始まります。
エジソンハダリーというアンドロイドをミス・アリシアに似せて作りだしエワルドへ与えるのですが…


終のステラに置き換えるとハダリーに自我を吹き込んだのがエワルドですが、フィリアに自我を吹き込んだのはジュードです。自我を吹き込み初めてアンドロイドは人間となります。

この話は物理主義ないしは機能主義的な考え方で人の魂(感情)は物理的に再現できるという考え方に則っているように思います。
ただし、最後を読むとこの物理主義の考え方を突き詰めることで人は倫理から外れてしまう、神の怒りを買うのではないかと警鐘を鳴らしている作品のようにも思えました。

今回、冒頭からエジソン肖像画を入れていますが、これは未来のイヴの再現となります。
エジソン肖像画だけでは分かりにくいので彼の発明の中でも有名な電球をシーンに入れていたりします。
また、終のステラの時代はオーバーテクノロジーなので歯車とかそんなものは一切なかったようにも思いますが、この時代の考え得る機械に沿って少しアンティークな形で表現しています。

そして、この話は1章に一つ、ゲーテやらダンテやらの引用で始まるのでそこから着想を得て、今回のMADが引用の山になったという経緯もあります。

 

・引用②「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」 フィリップ・K・ディック

フィリップ・K・ディックの小説。映画「ブレードランナー」の原作であり、あらゆる作品で引用されるほどの知名度を持つ、「アンドロイドと言えばこれ!」という作品。
賞金稼ぎのリックは脱走したアンドロイドを破壊することで生計を立てています。彼は自宅で電気羊という外見は羊だが、中身は機械というものを飼っており、いつかお金を稼ぎ本物の羊を飼いたいと考えています。(本物の羊は高いのです)
そして、レイチェルという人間に近いアンドロイドを愛しつつも最終的に破壊対象のアンドロイドを全て破壊します。
この作品でのアンドロイドと人間の判別は感情移入、共感が出来るかが一つの指標となっています。
そのため、共感能力がないアンドロイドは電気羊の夢を見ないという結論になっているのではないかと思います。
ただ、今回の終のステラで登場するフィリアは共感能力もあり感情移入が出来るため電気羊の夢を見ることが出来ます。
レイチェルが持っている護身用のおもちゃの銃というのも、終のステラで登場するおもちゃの銃とリンクしますね。

 

・引用③「R.U.R(ロッサム万能ロボット会社)」 カレル・チャペック

チェコの作家、カレル・チャペックによる戯曲。恐らく「ロボット」という単語が初めて使われた作品です。
ロボットが感情を持ち、人間に対して反乱を起こし結果として人間は死滅しロボットのみの社会になるのですが、
最後の最後で生殖能力が無く未来がないことをロボットたちは嘆きます。
ロボットの製法も失われアルクイストという大工だけしか人間はいません。
製法を知るには生きたロボットの解剖が必要なのですが、解剖=ロボットの停止を意味します。
ラストでヘレナとプリムスという二人のロボットがロボットという種の存続ではなく、
お互いを思い合いアルクイストの解剖に反対します。
その時にそのロボット同士の思いに感銘を受けたアルクイストが
「行くがいい、アダム。行くがいい、イヴ。世界はお前たちのものだ」と言います。終のステラのジュードはフィリアのために種の繁栄を諦めていると捉えられるのでとても似た構図だと考えています。

 

・引用④「渚にて」ネヴィル・シュート

第三次世界大戦、核戦争後の世界を描いた小説。今回は終のステラの荒廃した世界観を一発で言い換えられるので、渚にての映画版ポスターを登場させています。黄昏時のディストピアとしては一番分かりやすい舞台設定だと思います。

 

・引用⑤ 「マリー(メアリー)の部屋」 フランク・ジャクソン


フランク・ジャクソンが提唱した思考実験の一つで、物理主義や機能主義の反論となります。
白黒の部屋に入ったマリーはテレビや本などの情報媒体から「赤」がどんなものかを理解しています。
そのマリーが白黒の部屋を出て、外で「赤」の実際に見た時に何か学ぶことはあるのか?学ぶことがあれば、この「赤を見た」という経験を除外した機能主義という考え方に誤りがないかという考え方です。
(つまり、アンドロイドは情報だけで赤という感覚を得られるのかということ)

 

この「赤」というのは哲学でよく言われるクオリア哲学的ゾンビの話とリンクしています。
僕はフィリアは人間とは違う形で構成されているが、アンドロイドが持つ機能がクオリアも含めて再現出来れば
あながち機能主義の考え方も誤りがないのではないかと思ったので、「白黒の部屋の外で赤を知る」とテキストを入れています。
現に他のアンドロイドものの創作物もクオリアを再現できるものとできないという主張に分かれて、前者はアンドロイドと人は分かり合える、後者はアンドロイドと人は違うという結論になっているように思います。
終のステラは思いっきり前者寄りなので前者で寄せてMADも作ってます。

 

・引用⑥「女性の三時代」 グスタフ・クリムト

「終のステラ」のジュードの深いトラウマとして妻と娘を捨てて仕事を優先した結果、二人を流行り病で亡くしたという出来事が挙げられます。
そのため、ジュードが見ている「女性の三時代」に描かれる成年の女と幼少の女は妻と娘に当たります。もう亡くなっているので破れています。
絵を使うというアプローチは非常に簡易で捻りもないのですが、かつてキリスト教が宗教画やステンドグラスの絵で文字を読めない人に対して
教義を広めたのと同様に今でもとても分かりやすいアプローチだと感じます。

 

・引用⑦「中国語の小部屋」 ジョン・サール

ジョン・サールが提唱した機能主義に対する反論としての思考実験です。
小部屋の中に英国人がおり、小さい穴から中国語が書かれた紙が投げ込まれます。
英国人は中国語の完全なマニュアルに従い、回答文を作成して外に返します。
英国人は一切、中国語を理解していないが、小部屋の外にいる人は小部屋の中にいるのは中国人だと錯覚します。

これをアンドロイドで置き換えると、小部屋全体がアンドロイド、中にいる英国人がCPUという形になります。
つまりアンドロイドは人間と同様の心の機能を持ち返信しているのではなく、単純なプログラムに沿って返信しているという考え方です。

同じアンドロイドを扱ったATRIはフィリアよりもクオリアの再現が出来ておらず、
この小部屋の反論でアンドロイドと人間の違いを浮き彫りにしたように思いますが、フィリアは再現度が高いため、あまりこの思考実験では反証できないように思います。

 

・引用⑧ 実存主義 ジャン=ポール・サルトル

サルトルで有名な実存主義がアンドロイドにも適用されるという文脈を入れています。
人が神の創造物であり、神が本質(目的)を人に与えたというキリスト教的な構図はアンドロイドにも同様のことが当てはまると考えています。アンドロイドも目的をもって作られるわけですので。
しかし、フィリアは目的をもって作られるも最終的には目的外のことをするわけで、いわゆる運命論から外れた実存を先に確立している…つまりアンドロイドも人と同様の機能が作られれば実存主義が適用されるという解釈になります。

 

・引用⑨ 「大公の聖母」 ラファエロ・サンティ

ラファエロの描いた聖母子像の中でも特に有名な作品です。本来これを母と娘の表現で使っても良かったのですが、
キリストは男性であるため娘の表現と解釈が一致せずにクリムトを採用しています。
聖母子像のマリアは「彼女は人類の希望だ」と言える普遍的存在と考えています。これがいわゆるフィリアの存在となります。
哲学はニーチェにしろサルトルにしろ思考停止な旧キリスト教的な考え方への批判から入る気もしているのですが、
希望の象徴として神の存在は極めて分かりやすく、使いやすいため、あらゆる人は神を頼りがちになってしまうことが皮肉めいているように思います。
僕がMADの引用で思想は実存主義をとろうと希望の象徴は否定される神の絵以外に浮かばなかったのは大きなジレンマかと。。
ニーチェの超人概念でツァラトゥストラが普遍化されてたら別なのかも

 

・引用⑩ 「イサクの犠牲」 レンブラント・ファン・レイン

また、宗教画が出てきました、ということで有名な旧約聖書のイサクの犠牲です。
いわゆる神のために子供を犠牲に出来るかという観点です。
神が人の信仰心を試した話というところですが、終のステラの共通点としては
ジュードの最後の決断にあると思います。

ジュードはフィリアを差し出せば人類の繁栄が約束される、一方で旅先でPhiliaにまで昇華された愛を考えるとフィリアを差し出せません。
そのため、ジュードはまたもイサクの犠牲の前で悩んでしまいます。

 


引用については以上で終わりです。
全体を通して緩急と三拍子を意識して作成しています。
インストになるとサビがなかったり歌詞で情感を表現できなかったりで辛いところがあるため、その分、しっかりと見せ場を作ってあげる必要があります。


また、変化も意識して作っています。


・絵の変化
アンドロイド→人へ
日陰→日なた

 

・銃の破壊
おもちゃの銃の破壊=アンドロイドからの脱却(ロボット三原則からの解放)


・リンゴの変化
リンゴが赤くなる=赤を理解した、クオリアを得たということ。
リンゴである理由はアダムとイヴの口にした知恵の実から来ています。

 

 

(4)技術

3D部分についてはBlenderを利用しています。最近はBlenderにも高機能なアドオンが増えて、お金を出せばクオリティアップが出来る時代になりました。。凄いですね。

以下、利用したアドオンです。

・botaniq
・Physical Starlight And Atmosphere
・Gravity rope
・RBDLab
・BoxCutter
・HardOPS
・OCD
・Easy PBR
・Random Flow


筆記体のようなフォントはLa Bohemiennneというフォントを利用しています。

色調の調整はLooks、髪揺れなどは残念ながらまだAEのパペット機能です(Live2D移行したい…)


全体として色調は落ち着いた彩度低めなものを使いつつも、ダークレッドを一部の場面で使い、アクセントを加えています。

 


ということで今回のMADは非常に分かりにくかったですが、Pluviaっぽいというコメントもありアプローチとしてはありだったのかなと思います。

今後もストーリートレースな形で作りつつも時々、少し変わった形でのMADの作成もやっていければと考えています。


以上、また次回作でお会いできればと思います!