「世界限界の向日葵と永劫回帰の櫻」について

 

◆はじめに

この記事はMADMAX2023に提出した「世界限界の向日葵と永劫回帰の櫻」について、解説を加える記事です。
本作は芸術を主題としたサクラノ刻を題材にしています。

 

そのため、通常のMAD以上に芸術的な性質を持たせています。

 

簡単に言えば、美術史、哲学、詩、音楽等の知識を持つ批評家や作り手が解説を加えることで初めて価値を持つMADと言えます。

 

これは芸術全般の特徴で、フォービスムが何かを理解せずにマティスを見ても良さが分からない、オランピアの元ネタを理解しなければマネの革新性に気付けない、と同様に視聴者に一定の知識を要求するMADです。

 

写真が登場するまでの絵画は遠近法、陰影のつけ方等の写実性が一定の評価基準になりえたので、絵の「上手さ」が評価されていました。しかし、その後、ポスト印象派、フォービスム、キュビスムドイツ表現主義、抽象表現主義シュールレアリスムポップアートと写実性での芸術評価は極めて困難になりました。

芸術を評価する上では作者の思想、かつ過去の美術史の軸を見てどの画家もしくは思想家、詩人、音楽家などの影響を受けて、何を表現したかを作家自身が解説するか、批評家が読み取ることが重要となっています。

 

 


◆本作の解説

Ⅰ 哲学、詩、絵画、音楽、宗教の融合

Ⅱ ゴーギャン絵画の模倣

Ⅲ 絵画的性質の付加 

Ⅳ 詩的性質の付加

Ⅴ 音楽的性質の付加

Ⅵ 哲学的性質の付加

Ⅶ 宗教的性質の付加

Ⅷ その他の特殊演出

 

 

◆Ⅰ 哲学、詩、絵画、音楽、宗教の融合

サクラノ刻は哲学、詩、絵画、音楽、宗教が高いレベルで融合している作品です。

すかぢ氏の作品は素晴らしき日々からサクラノ刻に至るまで、
ヴィトゲンシュタイン哲学の思想を根幹に、エミリー・ディキンソンの詩をなぞりながら、エリック・サティの音楽が流れる中で展開しているように思います。

 

同時代や同分野の作品を下地にして、自己の感性や思想をもとに作品を作るクリエイターが多い中で、すかぢ氏の作品は異時代、異分野の要素を取り入れて、かつ思想を練り込んだ作品のため、その特殊性からかなりのプレイヤーから支持されていると考えています。もちろん、すかぢ氏以外のライターでも過去の作品を読み込み自分の作品に活かされている方は多くいるとは思いますが、
すかぢ氏は別格と捉えています。


過去の人間の思想や芸術を下地に、自己の思想を追加もしくはそのアンチテーゼとしての思想を加えて、作品を作ることでより多くの人の心に響く作品が出来る…その結果がサクラノ刻の人気や魅力なのだと思います。

 

これはMADでも同様のことが言え、多くのMAD作者は同時代(2010年~2020年代)の
同分野(MV、PV、MAD、アニメOP)を下地に自己の感性でアレンジしながら制作を続けることが大半です。
それでも十二分に良い映像は出来ると思うのですが、異質なMADを作っていくにはこれだけでは足りないと思っています。

そのため、今回は異時代(1400年~1950年)の異分野(哲学、絵画、詩、音楽、宗教)を取り入れたMADを実験的に制作するということが最大の目的となりました。

 


◆Ⅱ-1 ゴーギャン絵画の模倣 ~なぜ、ゴーギャンか~

その上で、本作は、自分なりの「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか(ポール・ゴーギャン)」を目標地点に置きました。
なぜ、ゴーギャンかはサクラノ刻をプレイすることで理解できます。

 

草薙直哉は「自身の哲学を絵画に織り交ぜて表現する」、夏目圭は「画家自身の感情を絵画に混ぜ込む」という特徴があります。このスタイルは似ているようで全く異なり、「目に見えないもの」を表現する点では共通していますが、思想の根底が異なります。
両者の違いはゴーギャンゴッホの絵画に対する姿勢とほぼイコールです。

 

ゴーギャンゴッホが共同生活の末、破綻し最後にゴッホが片耳を切り落としゴーギャンに送りつけようとした逸話は有名ですが、そこには思想の不一致も大きかったと言われています。本編では、喧嘩別れはしませんが、直哉と圭は二人を意識したキャラクターでした。

 

また、別視点で見ると、素晴らしき日々より引用されているサマセット・モームの「月と6ペンス」こちらの物語に登場するチャールズ・ストリックランドはゴーギャンがモデルだと言われています。月は非日常、6ペンスは日常。月と6ペンスの最後はストリックランドの遺言により、彼の最大の大作である家の壁にかかれた壁画は家ごと燃やされます。ストリックランドの最期に駆け付けた医師だけがその「美」を目に焼き付けて物語は終わります。


サクラノ刻で恩田放哉が絵を燃やしたのも、同様に直哉の絵画が人々に感動を与えて焼失したのも、月と6ペンスが下地になっているのではないかと
思いながらテキストを読み進めていました。

 

すかぢ氏にとっての草薙直哉は自己の思想の投影。もう一人のストリックランド。そして、ゴーギャン。そのため、サクラノ刻でMADを作るのであればゴーギャンの思想を忠実に再現した冒険したMADを作るべきだと思い、ゴーギャンの特徴を取り入れたMADを作ろうと考えました。

 

 


◆Ⅱ-2 ゴーギャン絵画の模倣 ~ゴーギャン絵画の特徴~
下記の三つが一般的にゴーギャン絵画でよく言われる特徴であり、今回のMADで意識したポイントです。

 

①総合主義
「説教のあとの幻影(ヤコブと天使の闘い)」が例として取り上げられることが多いですが、空想の世界(ヤコブと天使の闘い)と現実の世界(説教を聞いた人)が同じ画面上にいます。これは当時としては新しいことで、それまでは写実主義は現実の世界のみを画面に投影し、象徴主義は空想の世界のみを画面に投影しているように、二つの世界を混ぜた作品はこれより前にはありませんでした。(探せばあるかもですが…
   
この総合主義に倣って、空想の世界(サクラノ刻)と現実の世界(歴史上の哲学者、詩人、画家、音楽家)を同じ作品上で表現することで、新しいMADとしたいと考えて制作しています。   

 

②プリミティブ
ゴーギャンは先進的なフランスを起点とした世界ではなく、よりプリミティブ(原始的)なタヒチを理想郷として描きました。ゴーギャンのこの試みは成功し(彼自身が自殺未遂までしているので本人は成功と捉えていないかもしれませんが)、タヒチの人々を描くことで今までになかった表現に辿り着いています。
今回はゴーギャンに倣って、MADの映像表現におけるキャラクターアニメーション、3D空間の多用を排斥し、カメラでも動きは付けずに、より原始的な表現としています。


③哲学、宗教と絵画の融合
ゴーギャン絵画の特徴として、ゴーギャン自身の哲学や宗教観が盛り込まれているという点があります。「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」は死生観、輪廻転生を表し、トマス・カーライルの「衣服哲学」よりタイトルをとったという説もあります。タヒチの人間を聖母子に見立てた「マリア礼拝」、「ヤコブ・メイエル・デ・ハーンの肖像」には、ミルトンの「失楽園」と先ほど挙げた「衣服哲学」が描き込まれています。
   
この手法を真似て、自分の今回のMADでは哲学、宗教、詩、音楽、絵画を混ぜ込んだMADにしようと考えました。

 

 


Ⅲ 絵画的性質の付加 

 

①絵画のオマージュについて

マネは「草上の昼食」「オランピア」「フォリー・ベルジェールのバー」など、元ネタがある絵を描いています。例えば、ティツィアーノやベラスケスを参考に自分の時代に合わせた表現を試みています。

「草上の昼食」 
元ネタ「田園の合奏」 ティツィアーノ  「パリスの審判」 ライモンディ


オランピア
元ネタ「ウルビーノのヴィーナス」 ティツィアーノ


フォリー・ベルジェールのバー」
元ネタ「ラス・メニーナス」 ベラスケス

今回のMADではマネや過去の西洋絵画に倣って、引用もしくはオマージュを取り入れています。

 

・(0:01)我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか ポール・ゴーギャン
本編のテーマとなります。

 

・(0:08)オランピア エドゥアール・マネ
本編に登場する絵画です。サクラノ詩では贋作という観点でこの作品が一つのシンボルとなります。

 

・(0:11)印象・日の出 クロード・モネ
本編に登場する絵画です。泥棒カササギの章でルイ・ルロワに批判されたという逸話が語られます。

 

・(0:15)ひまわり フィンセント・ファン・ゴッホ
本編で圭が描いたひまわりはゴッホのオマージュと思われます。


・(0:17)醍醐 奥村土牛
本編で登場する画家です。桜の絵画で有名です。

 

・(0:30)自画像 ポール・ゴーギャン
ゴーギャンが直哉に向かって語り掛けるイメージで映像を作っています。

 

・(0:32)ブラン氏の肖像 エドゥアール・マネ
草薙健一郎はマネと同様の指導者としての位置付けだったのではないかと思います。
マネは印象派の指導者でした。ここでは指導者としての健一郎が登場します。

・(0:32)自画像 エドゥアール・マネ

  

・(0:41)大使たち  ハンス・ホルバイン
引き延ばされた髑髏、棚の上の天球儀、下段の地球儀は地獄、天国、現世を指します。若い二人と死を隣り合わせで描くことでメメント・モリを表しています。

 

・(0:41)死の舞踏 ハンス・ホルバイン
圭の傍らに架けられている絵はホルバインの死の舞踏の絵となります。
ペスト流行時には死は平等というところが救済となり、流行った画題です。
ここでは圭の身に迫っている死を表します。

 

・(1:03)スフィンクス、ミロのヴィーナス、キリスト降架(ルーベンス
Ⅵ 哲学的性質の付加で解説します。

 

・(1:04)古靴 フィンセント・ファン・ゴッホ
Ⅵ 哲学的性質の付加で解説します。

 

・(1:06)モナ・リザ
Ⅵ 哲学的性質の付加で解説します。  

 

・(1:12)1873年ウィーン万国博覧会ロシア館の海軍部の建物の設計図 ヴィクトル・ハルトマン

Ⅴ 音楽的性質の付加で解説します。 

 

・(1:12)バレエ《トリブィ》のための衣裳デザイン ヴィクトル・ハルトマン
Ⅴ 音楽的性質の付加で解説します。     

  

・(1:15)カラスのいる麦畑 フィンセント・ファン・ゴッホ
ゴッホの自殺(?)前の晩年の作品。麦畑の奥には死の象徴であるカラスが群れを作っています。心鈴の絵画にはミサゴとカラス(圭の死)が付きまといます。

 

・(1:22)フォリー・ベルジェールのバー エドゥアール・マネ
鏡を活用したマネの晩年の大作、給仕の後ろにある鏡は対面の人間を映し出します。鏡に映る給仕は少し不自然な角度に見えます。今回はワイン好きの静流と直哉の会話シーンということで使っています。ワインの作られた年は1999、2012、2015です。

 

・(1:26)悪の華の挿絵 オディロン・ルドン
Ⅳ 詩的性質の付加で解説します。

 

・(1:29)叫び エドヴァルト・ムンク
ムンクの有名な絵画およびムンクによって加えられたコメントを引用しています。

 

・(1:30)No.シリーズ マーク・ロスコ
カラーフィールドペインティングとして有名です。千葉の川村記念美術館のロスコ―ルームでは神秘的な体験が出来るそうです。今回は圭の「大きな音が鳴り、空と大地が混ざる」というセリフに合わせて展開させています。

 

・(1:31)黒の正方形  カジミール・マレーヴィチ
抽象表現主義。直哉はひたすら黒を塗った。これは無対象を意味しています。
対象物ではなく、別の目に見えない何かを表現しようとしたという意味としています。

 

・(1:46)笑う自画像 リヒャルト・ゲルストル
狂気の表現として、ゲルストルの絵画を参考に作成しています。

 

・(1:51~1:54)
多すぎるので割愛しますが、ルネサンス以降の絵画をほぼ時代やグループ別でまとめながら登場させています。大体100枚くらい使っています。

  

・(1:56)ウルビーノのヴィーナス ティツィアーノ・ヴェチェッリオ
マネのオランピアのもととなった作品です。オランピアでは足元にいるのは猫ですが、こちらでは犬です。この後のオランピアは草薙健一郎の象徴的な絵画で、オランピアに目を開けさせる前にオマージュもとにも目を開けさせています。

 

・(1:58)生きる喜び アンリ・マティス
楽園をフォービスムで描いたマティスの作品です。今回は直哉が見る楽園の隠喩としています。

 

・(2:00)デカルコマニー ルネ・マグリット
直哉の断筆、画家としての停滞を主役不在の切り抜きとしています。
切り抜きの向こうには生きる喜びが見えています。

 

・(2:01)ゴルコンダ ルネ・マグリット
よく見ると大量の人間の顔は一人一人違います。一方で全体としては集団として見られてしまい個は喪失します。サクラノ刻の新生美術部の個の喪失に当てています。

 

・(2:02)水平線の神秘 ルネ・マグリット
三人にとっての月はまるで違います。同じ月であっても三人が別の月を見ています。それは三人が見ている方向が違うためです。

 

・(2:03)暗殺者危うし ルネ・マグリット
手前は未来、奥へ行くほど過去を指します。奥の健一郎と手前の紗季、礼次郎の時空は違います。
          
・(2:03)死霊は見ている ポール・ゴーギャン
ゴーギャンタヒチで現地の死霊が少女を見ている絵画を描いています。
こちらでは死期が近い健一郎を死霊が見つめているという隠喩となります。

 

・(2:05)複製禁止 ルネ・マグリット
鏡は物体を転写できますが、人間の心までは転写が出来ません。笑顔の静流は鏡では後ろめたさを持ち、怒り顔の麗華は鏡では笑顔を見せます。それは贋作を見ている静流は後ろめたさを感じているが、麗華には本物と見えているからです。一方で鏡は物体である雪景鵲図花瓶 だけは鏡に正確に転写されます

 

・(2:05)エマオの晩餐 ハン・ファン・メーヘレン
ナチスフェルメールと偽って贋作を売りつけたメ―ヘレンの絵を置いています。彼はナチスから絵画を取り戻したことで国民的英雄となりました。ここでは贋作という意味です。

 

・(2:05)真珠の耳飾りの少女 ヨハネス・フェルメール
メ―ヘレンの絵画との対比で持ってきています。ここでは真作という意味です。
  
・(2:07)イメージの裏切り ルネ・マグリット
マグリットはパイプの絵を描き、これは「パイプではない」と添えました。つまりパイプではなく、絵だからです。寧を描いた心鈴の絵はどこまでも寧の性質を表しますが、それは絵であり本人ではないという意味となります。

 

・(2:08)恋人たち ルネ・マグリット
マグリットの不穏な絵画と異なり、優美と里奈の二人は顔を見せあっています。

 

・(2:09)解体されるために最後の停泊地に曳かれていく戦艦テメレール号 
     ウィリアム・ターナー
戦艦テレメールは時代を終え、新たに産業革命により発明された蒸気船がテレメールを曳いていく絵です。圭が生きた時代は終わり、新たに心鈴の時代を迎えようとしています。

 

・(2:09)死の島 アルノルト・ベックリン
ベックリンの作品で死を連想させる絵画です。ここでは圭の未来を示しています。

 

・(2:10)記憶の固執 サルバトール・ダリ
圭と心鈴の時間は終わり、圭の時間は溶けた時計のように止まります。

 

・(2:11)人間の条件 ルネ・マグリット
壁にかかっている絵は主観世界、壁の向こうは客観世界に当たります。
心鈴の頭の中の経験が絵画へと出力されていきます。

 

・(2:12)人の子 ルネ・マグリット
圭がどんな顔をしているのか、向日葵に覆い隠されていて見えません。

 

・(2:12)大家族 ルネ・マグリット
マグリットは鳥から青空を連想するとしたそうです。
曇り空の絶望の中で燕からは希望の青空を連想させます。

 

・(2:13)NEVER MORE ポール・ゴーギャン
Never moreというテキストはゴーギャンの絵画から着想を得ています。
元を辿るとエドガー・アラン・ポーの大鴉という詩となります。

 

・(2:15)サント・ヴィクトワール山 ポール・セザンヌ
セザンヌは普遍性を意識しました。それは永遠の相への入り口を隠喩としています。
  
・(2:15)リンゴとオレンジ ポール・セザンヌ
セザンヌの絵は複数の視点からの静物を統合することで普遍性を表現しました。
心鈴、真琴、寧はそれぞれ別の視点から見られているため、本来このような構図にはなりえません。これは絵画、映像であるため表現できる普遍性です。

 

・(2:19)生命のダンス エドヴァルト・ムンク
永遠の相では生の女と死を迎えつつある女は融合するという意味です。
すなわち永遠の相において、生も死もありません。
  
・(2:19)月光 エドヴァルト・ムンク
死の象徴である月と生の象徴である太陽も融合します。

・(2:19)太陽 エドヴァルト・ムンク

 

・(2:33)コリウールの開いた窓 アンリ・マティス
圭は色彩の向こうの果てへ旅立とうとしています。窓からは沢山の向日葵が見えています。

 

・(2:41)ラス・メニーナス ディエゴ・ベラスケス
ベラスケスはラス・メニーナスで鏡によるトリックを利用しています。
この絵に描かれているのはマルガリータ王女ですが、実はこのマルガリータ王女を見ている国王夫妻の視点がテーマであるということが鏡により分かるものとなります。
「この10年はどうだった?」と聞かれた直哉の視線の先には、サクラノ刻で交流した人々の姿があります。鏡に映るのは直哉と藍。これは直哉と藍の視点となります。

 

・(2:47)ピエタ ミケランジェロ・ブオナローティ
藍は聖母として描かれています。今回はフォービスム的に赤、黄、青を基調としています。

 

・(3:02)サロメの挿絵 オーブリー・ビアズリー
オスカー・ワイルドサロメの挿絵で有名なピアズリー。彼の挿絵のサロメのイメージはギュスターヴ・モローの「出現」が由来です。モローがサロメファム・ファタール(運命の女)として捉え何枚も絵を描いており、それが今日のサロメ像に繋がっています。この観点で言えば、心鈴は本人にその気がなくとも、人の人生を変えてしまうファム・ファタールであり、運命の象徴となります。

 

・(3:30-)女性の三相 エドヴァルト・ムンク   
     女性の三時代 グスタフ・クリムト
稟、真琴、水菜と健一郎、藍と直哉の三時代を一つの絵として載せています。

 

 

②キャラクターを画家として意識する

各キャラクターを映像として表現する際に画家のモデルイメージをもとに作成しています。

草薙直哉 ポール・ゴーギャン
夏目圭 フィンセント・ファン・ゴッホ
御桜稟 モデルなし(表現上は佐伯祐三、モーリス・ユトリロ、リヒャルト・ゲルストルを意識)
長山香菜 アンリ・ルソー等の素朴派
本間心鈴 パブロ・ピカソアンリ・マティス等のキュビスム、フォービスム
氷川里奈 エドヴァルト・ムンク等の象徴主義
鳥谷真琴、静流 クロード・モネピエール=オーギュスト・ルノワール等の印象派

 

少し解説を加えます。

 


美の神としての存在のため、モデルや絵画上の特性はあまりないと感じました。
ただ、稟自身が美の狂気を表現するキャラクターでもあるため、狂気的な画家を意識して画面作りを行っています。画家の生い立ちは割愛しますが、三人ともかなり壮絶な人生を辿っているためか絵に異常な力があります。

 

香菜
凡人代表ということで日曜画家で素朴派と言われているルソーをイメージしながら、一部の絵作りをしています。

 

心鈴
天才代表ということでピカソマティスをイメージしつつ絵作りをしています。実際の心鈴さんはもう少し写実寄りの絵を描くような気がしていますが、天才っぽさを出したかったので…。

 

里奈
分かりやすく概念を描く画家という描写がされているので象徴主義的に冬虫夏草や狼、キノコなどの象徴を加えています。

 

真琴、静流

印象派のように目に見える現実を見据えた二人だと思います。

 

また、キャラクターとは別に「普遍性」、後述する「永遠の相」へ繋がる画家としてポール・セザンヌを意識しています。セザンヌは「自然を円筒形と球体と円錐体で捉えなさい」という言葉が有名な近代絵画の父ですが、色々な解説を読んでいると、結局は印象派のような一瞬の時ではなく永遠に普遍性のある林檎を描きたかったのだと理解しました。そのため、永遠の相の前にセザンヌ的な映像を設置しています。

 

 

西洋美術史の流れを意識する

 

全体の流れとして、西洋美術史の流れを意識しながら作成しています。

0:47  バロック
0:52ー 写実主義
1:14ー フォービスム、クロワゾニスム、印象派
1:34ー 表現主義象徴主義
2:00ー シュールレアリスム

一つの動画で西洋美術が流れるように作りたかったというのが想いにあります。

 

 

 

◆Ⅳ 詩的性質の付加

芸術において画家、音楽家が詩を題材にした作品を作ることは一般的です。

サクラノ刻の本編でも出てきたマラルメですが、ドビュッシーラヴェルによりマラルメの詩を題材に作曲した「マラルメの3つの詩」や「牧神の午後への前奏曲」などが作られています。他にもドラクロワの絵にボードレールは傾倒し、そのボードレールマラルメが傾倒し、マラルメの詩にゴーギャンがインスピレーションを受ける…といったように画家と詩人は強いかかわりを持ちます。

 

今回はサクラノ刻で登場した詩人を中心に、19世紀の象徴主義のフランス詩人やアメリカ詩人を加えて本編の性質を表現したシーンを取り入れています。

 


①エミリー・ディキンソン
エミリー・ディキンソンはアメリカでは大変有名な詩人で、生前は無名でしたが、死後に爆発的な人気が出た詩人の一人です。これはゴッホ宮沢賢治などにも似ている部分があるかもしれません。すかぢ氏の作品の根底にはいつもエミリー・ディキンソンがいるように思います。
  
今回、ディキンソンの詩は一番多く登場させています。
  
・脳は空より広い(3:14)
・わたしが死へと立ち止まれなかったので(0:39)
・あなたが秋に訪れるのなら(2:14)
その他にもルネ・マグリットをテーマとした箇所では全てディキンソンの詩を引用しています。

「あなたが秋に訪れるのなら」は後述の「Never More」への対抗として燕が「Ever More(いつか、永遠に)」と答えているシーンで利用しています。このMADを作るために色々と調べていて気付いたのですが、アメリカのシンガーソングライターのテイラー・スウィフトさんが2020年にリリースしたアルバムも「ever more」というタイトルでファンの間ではディキンソンに当てて作られたものではないかと言われているそうです。
 
「あなたが秋に訪れるのなら」の一節で、

 If certain, when this life was out  もし、この世界での生が尽きた時
 That yours and mine should be    あなたと私の生があるならば
 I'd toss it yonder, like a Rind,  私は「この世界の生」を果物の皮のように破り捨て
 And take Eternity   「永遠」をとるでしょう
 
というものがあり、ディキンソンの二人の魂の出会いが「永遠」を表します。
これは直哉と圭の永遠を表し、永遠の相と繋ぐために普遍性のセザンヌの林檎と剥かれた林檎の皮を接続しています。
  

 

ステファヌ・マラルメ
ステファヌ・マラルメはフランスの詩人であり、フランスの代表的な詩人としては真っ先に名前が上がります。マラルメは初期にボードレールの詩を読み、その詩のコピーを自分の詩に添えたと言います。彼の詩は音楽的と言われており、フランス語が分からない私は日本語でした意味が分からないのが本当に残念ではあるのですが、フランス語の音の響きはまさに音楽と言えるのかもしれません。

  ・乾杯
  ・ヘロディヤード
  ・青空

乾杯はゴーギャンタヒチの船出を連想させるものとして冒頭で登場させました。
このMADとしてもタイトル前の船出という意味合いも込めて引用しています。ヘロディヤードはヘロデ王の妻であり王妃すなわち、サロメの母親を指します。今回心鈴が絵を描くシーンでの仏文はヘロディヤードの一節です。サロメ象徴主義でよく使われるテーマでモローからマラルメオスカー・ワイルド、ピアズリーと大人気の主題です。

ロディアは洗礼者ヨハネを疎ましく思い、いつか処刑したいと考えていた一方で、ヘロデ王は聖人と呼ばれるヨハネを殺すことは躊躇っていました。
ある日サロメが余興で踊り、感動した父ヘロデ王は「望みに何が欲しい?」と問います。この時にへロディアサロメに入れ知恵をして「聖ヨハネの首と言いなさい」と言い、サロメは従いヘロデ王に「聖ヨハネの首を」と言います。結果、ヘロデ王は悩んだ末、娘のお願いを叶えることして、聖ヨハネは斬首されます。

この詩ではヘロディヤードと言っていますが、王妃のことではなくサロメのことを指します。マラルメは「虚無の後に美を見つけた」と言いましたが、心鈴の人生に強くリンクしている思想です。

また、青空は稟の狂気を表現しているシーンで佐伯祐三の書き文字表現のオマージュでマラルメの詩が使えないかと思い、青空という詩を入れています。ヘロディヤードにも青空と言う一節がありますが、マラルメにとって青空は「理想」でした。
これは詩人が青空という「理想」に挫折し、青空を覆い隠すように叫ぶ詩です。美という理想で多く死んでいった画家もいると思います。美を体現している稟だからこそふさわしい詩だと思いました。

 

 

宮沢賢治
宮沢賢治サクラノ詩でテーマとなった詩人です。サクラノ詩の「春と修羅」に因果交流電燈という賢治独自の概念が登場しますが、これが「永遠の相」や仏教思想の「重々帝網」と近い考え方の詩なのではないかと思います。
   
春と修羅
前半のサビ部分で春と修羅の一節を引用することで詩的な絵作りが出来ないか試みています。   

(1:15)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね

青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ

(1:16)
ZYPRESSEN 春のいちれつ
   
後半(2:19)で春と修羅を引用しているパートは「永遠の相」を再現しているものとなっています。ここは生死もなく、時間もなく、有も無もない世界。その中で直哉は圭と再会を果たします。生死がない世界のため、現実世界のキャラクターが大人になったり子供になったり、死んだはずの人がその世界にはいます。

  


シャルル・ボードレール
エドガー・アラン・ポーのフランス語訳でも有名ですが、最も有名な著作としては「悪の華」かと思います。「悪の華」はマラルメの源流となった作品の一つで当時の詩人や音楽家、画家などあらゆる芸術に大きな影響を与えました。

悪の華

今回、ボードレールからは二つ引用しています。
冒頭の心鈴の深淵の目の表現、および恩田放哉の思考に一部ある「悪」とも言える内面で悪の華の挿絵を描いたルドンの絵をもとに自筆で似た絵を描いて投入しています。

 


エドガー・アラン・ポー
アメリカの大詩人であり、作家です。ボードレールはポーの詩に感銘を受けて、フランス語訳をしており、フランスの象徴派詩人へ大きな影響を与えています。ポーがいなければ、ボードレール悪の華を出さず、マラルメも詩人を志さなかったかもしれません。

・大鴉(2:13)

今回はポーから、「大鴉」という詩の一節「Never More」を引用しています。


これは主人公の男が恋人レノーアを失い嘆き悲しんでいると突然、大鴉が入ってくるという詩です。男が何を問いかけても鴉は「Never More(もう二度とない)」と答えます。主人公が最後に「天国で恋人と会えるか?」と尋ねても、鴉は無情にも「Never More」と言うだけです。「大鴉」はとても人気がある詩で、挿絵をマネが書いています。この一節と同タイトルの詩をヴェルレーヌも書いており、ゴーギャンの唯一の英語タイトルの作品「Never More」もこの詩より、インスピレーションを受けていると言われています。ここでは、圭との再会に対して鴉が「Never More」と言っているという演出になります。


ポール・ヴェルレーヌ
フランスでは必ず、アルチュール・ランボーとセットにして語られる詩人です。ヴェルレーヌランボーの二人の放浪はゴーギャンゴッホの共同生活以上に密接でそこにはヴェルレーヌからランボーに対する「愛」があったことは有名です。

 

サクラノ刻の放哉は面白いキャラクターで、彼は悪役でありながらも一種の強い魅力があります。そんな彼は時代が違えば、ランボーヴェルレーヌのように健一郎と放浪していたのかもしれません。


ヴェルレーヌゴーギャンゴッホ同様にランボーと最後は喧嘩別れに終わり拳銃でランボーの手を打ち抜きます。そのことが原因で彼は牢屋に入ります。恩田放哉も絵を燃やしたことで牢屋に入りますが、同性愛と合わせて境遇がとても似ていると感じています。彼がヴェルレーヌをもとにしているかは、すかぢ氏の頭を覗かないと分かりませんが、とても似ている共通項だと感じています。ついでにサクラノ詩から引き続き登場のオスカー・ワイルドも同性愛で逮捕されて牢に入れられています。

    
・Never More(2:13)
・涙(3:02)

 


⑦その他、引用した詩
・春日狂想 中原中也(2:56)
・永遠 アルチュール・ランボー(2:59)
・歩み ポール・ヴァレリー(2:47)
・十字架 ハルト・レーベン(1:27)


Ⅴ 音楽的性質の付加

サクラノ刻は各章のタイトルで音楽が使われています。
数は少ないですが、本作ではいくつかの楽曲を引用しています。


・(1:12)展覧会の絵 モデスト・ムソルグスキー
 展覧会の絵ムソルグスキーが友人のヴィクトル・ハルトマンの死後にその遺作展を歩く様子から作られています。ヴィクトル・ハルトマンの絵の傍らで死んだ圭の絵を見ている直哉がいます。

 

・(1:23)泥棒かささぎ ジョアキーノ・ロッシーニ
本編で登場するオペラ「泥棒かささぎ」の引用となります。


・(1:26)禿山の一夜 モデスト・ムソルグスキー
イワン・クパーラの前夜が美の呪われた宿命を体現していると恩田放哉は言います。聖ヨハネの前夜に妖女からの取引に応じ、世話になっている主人の子供を殺すという悪夢。妖女は離れた首から血をすすります。

 
・(1:27)月に憑かれたピエロ アルノルト・シェーンベルク
月は死の象徴であり、非日常の象徴であると捉えています。シェーンベルクは無調、十二音技法を作り上げており、現代音楽の様々な作曲家に影響を与えました。
月に憑かれたピエロは当初は、ラヴェルの「ステファヌ・マラルメの三つの詩」と同時に公演される予定でしたが、実現はしませんでした。今回は月に憑かれたピエロの中の「十字架」という詩を基に画面を作っています。詩人、画家が大衆により磔となり、血を流します。

 

・(2:56)ピタゴラスボエティウス
古代ギリシャ哲学者で音楽について言及したピタゴラス。その後、ボエティウスは更に音楽と哲学を関連付けました。
  
・(2:57-2:58)子供の情景 詩人は語る ロベルト・シューマン
本編では心鈴と寧の章で使われましたが、あえて最終部分で使っています。オーケストラの指揮者をMADで登場させていますが、オーケストラはあるものの、どちらかと言えば静かなピアノ曲と言うのがスタンダードです。曲集は子供の情景ですが、それは子供に姿を変えていた詩人本人です。その詩人が最後に今までのお話を語るというストーリーになっています。直哉、藍、稟の大人の姿と子供の姿が同時にこのオーケストラを見ています。
 

 

 

Ⅵ 哲学的性質の付加

 今回は自分なりに哲学要素を整理して作成しています。今回、重要となる哲学者はこの三人です。

 ①ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン
 ②ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
 ③マルティン・ハイデッカー

 


ヴィトゲンシュタイン
本編で出てくる「語りえぬものについては沈黙しなければならない」はヴィトゲンシュタインの哲学の柱の一つと認識しています。死、存在、それらは語ることが出来ない。語りえないものは神秘である。哲学の命題となっている死や存在を論理の外にあるものとして語りえぬものとしています。
今回は「美」が語りえるものなのかというものもテーマに含まれていると考えていますが、確かに「美」は語りえないものだと私は思います。無駄なお喋りは身体を濁らす、これもヴィトゲンシュタインの哲学からとっているのかなと思いながら本編を読んでいました。
   
また、ヴィトゲンシュタインの哲学として「永遠の相」という概念もあります。正確にはスピノザが唱えた考え方です。このあたりは勉強しながらなので間違ったことを言っているかもしれません。スピノザの言う「永遠」は時間的な区分が存在しないものです。あらゆる時間を超越した普遍的な神の視点で世界を見る事を永遠の相のもとに見る、と言っています。ヴィトゲンシュタインは「芸術作品とは、永遠の相の下に見られた対象である。そしてよい生とは、永遠の相のもとに見られた世界である」と表現しています。サクラノ刻で語られたショーヴェ洞窟の例などは過去の時間を超越して現在の我々に「美」を追体験させるというものでした。
つまり、芸術があらゆる時間を超越し神の視点で「美」を見ることが出来る手段であり、そこに神秘性を感じる事をよい生と言っているのかなと認識しました。
 

 

ヘーゲル
本編のヘーゲルで出てくる芸術終焉論は芸術を「象徴芸術」「古典芸術」「ロマン芸術」の三段階に分けています。象徴芸術はいわゆる、エジプト文明などのイメージ、スフィンクスとかファラオとかです。古典芸術は古代ギリシャ芸術を指しています。
いわゆるサモトラケのニケやミロのヴィーナスといった神の彫刻が主体です。最後のロマン芸術はいわゆるキリスト教を中心としたイコンや祭壇画などの芸術です。これらの芸術は全て神と一体化しています。スフィンクスは神ですし、ニケも神ですし、十字架に張り付けられるキリストも神の再現です。しかし、ヘーゲルの時代の芸術は既にこのような芸術とは離れたものになっていきます。フランドル絵画の肖像画などは神を表しているわけではありません。これをヘーゲルの芸術終焉論と呼んでいます。
ヘーゲルはこの三段階の芸術のうち古代ギリシャ芸術を最も評価していたそうです。同じく古代ギリシャを詩の題材としたヘルダーリンとも交友関係があり、ここにも詩と哲学の相関性が見えてくるように思います。

 


③ハイデッカー
ヘーゲルの芸術終焉論に対して、ゴッホの古靴やギリシャ神殿の例を挙げて、芸術を神とは別の方面でとらえようとしたのがハイデッカーです。それはヘーゲルの芸術終焉を否定し、芸術を延命させようとする行為だったとサクラノ刻でも語られています。
ヘーゲルの主張では、古靴を見て連想する重労働をしている農夫のイメージ、これが「世界」であるが、一方で直接重労働をしている労働者である「大地」は描かれていない。芸術は隠された明示されない「大地」を「世界」として開示する闘争だ…と言っています。

 

 


今回は上記の三哲学者を意識して下記の構成としています。

 

1番転調部(1:03ー1:04)
ヘーゲルの芸術終焉論、それを否定するハイデッカーの芸術の根源


恩田放哉のセリフ(1:06)
:「芸術はとうの昔に終焉しているよ」にて、古典芸術としての古代ギリシャを連想させるモナリザのアルカイック・スマイルを設置


1番サビ前(1:11)
ヴィトゲンシュタインの語りえぬものとして「美」は存在するとヘーゲル、ハイデッカーを否定


1番サビ(1:12)
:圭の絵を前に直哉は、語りえぬ「美」を示そうとする。以降は芸術を作品で語る


2:18以降:永遠の相のもとに見る世界をイメージ(直哉にとっての限界を超えた絵画)

 

 


Ⅶ 宗教的性質の付加

シラノ・ド・ベルジュラック
今回のサクラノ刻ではシラノ・ド・ベルジュラックを模した神(2:19)を登場させています。これはキリスト教や仏教における神ではなく、概念そのものとなります。
自作のMADでは過去に作品に沿った神を登場させています。

 

・終末思想の夜と幸福の向日葵畑 シラノ・ド・ベルジュラック(永遠の相の神)
・夏蝶のピノキオ 操り人形を操る仮面(運命論の神)
・不条理狂詩曲 アルベール・カミュ(不条理の神)
・Waltz for the End トーマス・アルバー・エジソン(人間という存在を見る神)

 

シラノ・ド・ベルジュラックは剣術化であり作家であり、哲学者、理学者でもありました。恐らくゲーテダ・ヴィンチのような万能型の天才だったのだと思います。

シラノのフォトコラージュについてはルイス・フロイスのジャバウォッキーがもとです。ルイス・フロイスはいくつかの言語を組み合わせたカバン語という独自言語を登場させているそうです。
(このあたりは鳩麦ゆうさんという方が大変分かりやすい動画を作成されているのでそれを見るといいかもしれません)
カバン語のように時計、向日葵、目、ピアノ、ペン、月を融合させた存在です。

このシラノ・ド・ベルジュラック素晴らしき日々のMADから登場させているシンボル的な存在であり、今回は永遠の相への導き手として入れています。


②仏教思想
ワンシーンですが、2:16に重々帝網のイメージを入れています。
重々帝網は帝釈天の宮殿を飾る網で網の結び目に球体の鏡が釣り下がっているそうです。鏡同士はお互いの世界を映し出し、それが世界の成り立ちであると。
これは因果交流電燈と近い概念と妄想しながらサクラノ刻を読み進めていました。

 


Ⅷ その他の特殊演出

①言語的なトランジション
1:03-1:04はヘーゲルの芸術終焉論およびハイデッカーの芸術の根源の知識があった場合に滑らかに繋がっているように見えます。
このように意味や言語を理解すれば滑らかに繋がるトランジションを設けています。

(1:03-1:04)芸術終焉論 → 芸術の根源


(1:55-1:56)ウルビーノのヴィーナス(マネのオランピアのオマージュ元)→オランピア


(2:11-2:15) 中原中也(愛する娘が無くなり春日狂想を作成)→NEVER MORE(大鴉は死んだ恋人を悼む男に「二度とない」と答える)→EVER MORE(「いつも、永遠に」と燕が言う。傍らに剥けた林檎の皮)→セザンヌ(林檎の静物画で普遍性を表現)


(3:02-3:04)ピアズリー(オスカー・ワイルドに認められサロメの挿絵を描く)→牢屋(オスカー・ワイルドは同性愛により逮捕される)→オスカー・ワイルド幸福の王子
→燕(幸福の王子に登場する)→夏目圭(燕は夏目圭の寓意)


②永遠の相の演出
圭と直哉が出会うシーンのインスピレーションは「フランケン・ふらん」という漫画からとっています。主人公のふらんは天才外科医なのですが、患者を治すために行う手術が非人道的。(芋虫の体に人の頭部を移植したり、二人の人間を半分ずつ繋げたりと…)しかし、ふらん自身は、ひたすらいい子で善意や彼女にとっての常識の範囲内で行動しているというシュールな漫画です。
今回の演出は最終話で、ふらんが潜水艇に閉じ込められた話がモチーフです。
事故で潜水艇に閉じ込められたふらんは救助を待つ間に眠ってしまうのですが、
その夢の中で今まで登場したキャラクターがカーテンコールとして全員出てくるというお話です。最も印象的なのが、最後にふらんがずっと会いたいと思っていたが、消息が分からない博士に夢の中で会えるというシーンでした。
とてもいいお話なので是非読んでいただきたい漫画です。

 


③健一郎の口元
2:28の健一郎の笑い顔は宮崎駿作品のルパンやコナン、トトロなどの笑い顔からとっています。この無邪気な笑い方が私自身好きで、健一郎はこんな笑い方をしていたんじゃないかと思いながら、作っていました。
関連はないですが、「君たちはどう生きるか」もシュールレアリスム的な要素が強く、芸術家には大うけだったそうです。
(NHKで正月中に村上隆さんの特番がありましたが、絶賛でした
あれもジョルジュ・デ・キリコやベックマンの死の島などもオマージュされているようです。

 

④ラストの肖像写真、肖像画一覧

以下、登場させてます。

 

哲学者(3:06)

ソクラテスプラトンアリストテレスピタゴラスヘラクレイトスボエティウスデカルトパスカルスピノザ、カント、ヘーゲル、キュルケゴール、マルクスフッサールニーチェフロイト、ハイデッカー、メルロポンティ、サルトルラッセ

 

楽家(3:12)

バッハ、ハイドンモーツァルトベートーヴェンロッシーニパガニーニメンデルスゾーンショパンシューマン、リスト、ワーグナー、サン・サーンス、ムソルグスキーチャイコフスキードビュッシーリヒャルト・シュトラウス、サティ、ラヴェルシェーンベルク

 

詩人(3:18)

ホメロスヴェルギリウス、ダンテ、ゲーテ、シラー、ヘルダーリンノヴァーリス、ポー、ディキンソン、ボードレールマラルメヴェルレーヌランボーホイットマンゲオルゲヴァレリー

 

画家(3:22)

ダヴィンチ、ミケランジェロラファエロゴヤ、ベラスケス、カラヴァッジョ、ティッツィアーノ、ルーベンスフラゴナール、アングル、ドラクロワクールベ、ミレー、マネ、ドガ、モネ、ルノワールベルト・モリゾ、モロー、ルドン、スーラ、セザンヌゴーギャンゴッホムンク、シーレ、マティスピカソ、ルソー、シャガールカンディンスキー、クレー

 

 

◆MADにおける象徴主義写実主義

本作についての解説は以上となりますが、最後にMADMAXの感想や現在のMADを少し絵画論で見ていくことで何かしらのヒントとなるかもしれないということで書き残しておきます。


現在のMADを見ていると19世紀の象徴主義写実主義の争いや
新古典主義ロマン主義の対立に似通っているように思います。

この象徴主義写実主義の争いというのが「目に見えない対象を描く」か「目に見える対象を正確に描く」かの派閥争いとなります。

画家のイメージで言えば、こんな感じです↓

 

象徴主義
リーダ モロー
メンバー ルドン、ムンククリムトゴーギャン

 

写実主義
リーダ クールベ
メンバー マネ、モネ、ルノワール

 

象徴主義はいわゆる「概念」を描きます。「死」だったり「神秘」だったり、「愛」、「運命」みたいなテーマです。象徴主義は目に見えないものを描くという性質上、表現主義やフォービスムにも影響を与えています。
モローの教え子だったマティスもルオーもフォビスムとして大成しましたし、
同様にシュトゥックの教え子のカンディンスキーとクレーは抽象表現主義として活躍しました。

 

一方の写実主義は、林檎とか風景とか、人など、目に見えるものを描く試みです。
印象派写実主義と言うのはどうなの?というのはありますが、思想の根底は目に見えるものの表現ということで共通しています。

 

現在のMADに当てはめてみると、象徴主義は元作品からテーマを読み取りそこからテーマや登場人物の感情などを作家として表現するMADと言えると思います。
一方で写実主義は元作品の内容を正確に再現するMADと置き換えることが出来ます。
この分類で今回のMADMAXを分けてみると以下の分類になります。(動画MAD除く、かつ独断と偏見による分類)

 

象徴主義
【MAD】 Sleep tight, sweetheart 【まちカドまぞく】
【MAD】 ЇИḟƩɌηϴ_ 【魔女の家】
【MAD】 dirty girls 【化物語
【MAD】 迷星叫 【BanG MAD】 西宮硝子 / ヰド 【聲の形
【MAD】最後のさよならを告げるよ。【デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション
【MAD】 成層圏と追憶 【アオのハコ】
【MAD】 虫出しの雷とほんとうのさいわい 【花は咲く、修羅の如く】
【MAD】 世界限界の向日葵と永劫回帰の櫻 【サクラノ刻】

 

写実主義
【MAD】 one of a kind 【蒼の彼方のフォーリズム
【MAD】 辿ろう、2人の記憶を 【Summer Pockets
【MAD】 星が生まれる瞬間に 【FateGrand Order 】
【MAD】 FREEDOM 【チェンソーマン】
【MAD】 残光 【創作彼女の恋愛公式】
【MAD】群青の火輪【しらないこと研究会】
【MAD】 約束と初めての×× 【きみが死ぬまで恋をしたい】
【MAD】 legend 【SHIORI EXPERIENCE~ジミなわたしとヘンなおじさん~】
【MAD】 幸福な終わりの物語 【サクラノ刻】


MADにおける象徴主義はMVやPV、映像作家からヒントを得ているパターンが多いのかなと思います。
特徴としては「綺麗な絵<面白い絵」「元ソースの再現<作家の解釈」
自分なりに考えて寓意を込めたオブジェクトを使い、キャラクターの心情を表現することに重きを置く傾向があります。難解さは罪ではなく、それが深みや個性に繋がるという思想でそこに作家の個性が求められます。

 

MADにおける写実主義は漫画MAD、漫画PVやアニメOP、ゲームOPからヒントを得ているパターンが多いのかなと思います。
特徴としては「綺麗な絵>面白い絵」「元ソースの再現>作家の解釈」
アニメ同様に滑らかなアニメーションはどうすれば出来るのか、水飛沫や波、風、日の光、炎などのエフェクトはどうか、光はどのようにキャラクターに当たっているか、
デザインは綺麗に整っているか、など現実の物語をいかに綺麗に再現出来るかを重視します。分かりやすく物語を伝え、万人に分かる表現を重視する思想です。
この思想の場合は作家独自の解釈を加えた通常の技法を逸脱した表現は、なかなか理解されにくかったりします。

 

恐らく、多くのMAD作者は自分の主義と違うものに当たった場合に、
「凄い!でも、自分の作りたいものとはちょっと違う」という感覚を感じ取っているはずです。自分がどんな思想でMADを作っているかを整理して、スタンスを決めてMADを作ることでより自分の作りたいものが明確化され、良い表現になると私は信じています。

 

また、この二つの主義に優劣は基本的にはないと考えています。
モネとゴーギャンのどっちが偉大か、とかクールベとモローはどっちが人気があるかは意味のない議論です。見た人が決めることです。
面白いのは、同じ主義同士がMADMAXで当たると技法対決になって何となく勝敗が見えやすい一方で、主義が違うMADが当たると票が割れて非常に面白い戦いになったりします。それは見た人が象徴主義に惹かれるか、写実主義に惹かれるかが全く見えないからです。

100年以上前の絵画の考え方の違いが今もMADの世界で当てはめられることには驚きます。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉がありますが、過去の歴史を思想の下地にして、映像に取り入れることでより面白く、評価され、心を打つ映像が作れると思います。

 

ゴーギャンは「芸術は、盗作であるか革命であるか、そのいずれかだ」と言ったそうです。我々も出来れば革命側として生きていきたいものです。

【MAD】Michaelの話

「語り手と、新世界」の方は、タイトルに反して語るところがない、いつもの文法で作成したMADなので、今回は実験作でアップしたMichaelの解説を書く。

 

www.youtube.com

 

今回、このMADはあまり理解されるつもりがなかったMADであり、「語り手と、新世界」が極めて万人向けに分かりやすいエンタテイメントに振り切っている一方でこちらはアトリビュート、引用を混ぜ元作品とは乖離した雰囲気を作り出そうしたものだ。

 

MADなんて目が面白ければいい、と言ってしまえばそれまでなのだが、それはいわば絵画が不要でイラストであればよい、楽しい、分かりやすい刺激のみでよいと言っていることに他ならない。そのため、至極シンプルなMADには味わいが薄く、そこに何らかの思想や作者のバックボーン、その作品から得られる主題などを織り交ぜて映像化することで新鮮な気付きを視聴者に与えると思っている。

 

今回のMADのタイトルは「Michael」という極めてキリスト教の世界観が強いMADとした。このMADで出てくる登場人物は何かしらの現実世界の宗教にあるものの比喩表現、隠喩となっている。

 

いわゆる西洋絵画が、マネ以前に圧倒的に宗教画を評価されていたことと同様にMADで宗教観を入れることでどのような表現となるか試したかったというのがこの作品の肝である。

 

そもそもではあるが、ブルーアーカイブのモチーフがあらゆる神話からベースをとっている。シッテム、ヒエロニムス、バルバラなどの名付けも始め、キャラクターのモチーフも天使や悪魔を連想させる作りになっている。ブルーアーカイブは単純にシナリオの妙だけではなく、このような引用やキャラクターの裏にあるモチーフが背負うバックボーンにも面白さがある。

 

今回のMADのモチーフとなった生徒としては諸説あるが以下のモチーフと解釈しMADを作成している。

 

ミカ = ミカエル

ナギサ = ラファエル

セイア = ガブリエル  

ハナコ = ウリエル  

サオリ = サリエル

 

いわゆるアトリビュートを用いてモチーフとキャラクターの関連付けをしたものである。

 

ミカ…剣、秤

ナギサ…杖

セイア…白百合

ハナコ…本

サオリ…月

 

ミカに焦点を当てているためミカのアトリビュートは最も多い。

下記の引用を用いて映像を作っている。

 

悪魔を倒す聖ミカエル:ラファエロ・サンティ

Quis ut deus:「誰が神に比べられようか」 ヘブライ語でミカエルの意

ミカエル像:ローマ サンタンジェロ城

ジャンヌ・ダルクのステンドグラス

ダニエル書 12章

 

今回の寓意としてミカをミカエル、あるいはジャンヌ・ダルクと同義に扱ったMADとなる。当初は自分を魔女と考えていたミカが最終的に天使として利他の精神で人を救うという構造とした。

ミカエルはヨハネの黙示録にて竜(サタン)、悪魔と戦い勝利を収めた。ミカがゲヘナを憎むのは天使としての性質が強いからに他ならない。そして、黙示録やダニエル書で救いに現れるミカエルは剣を携え悪魔と戦うのだ。

ミカのエデン条約の戦いもゲマトリアが作り出した模倣、バルバラといったトリニティを神と置いた場合の悪魔と戦う。

その戦いでミカは自己のためではなく、他人の救済のために戦い、祈りながら銃を放つ。

これはミカエルの啓示を受けて戦ったジャンヌ・ダルクをも連想させる。

 

しかし、ミカ自身が自分の持つ天使という性質を否定するか如く、「『憐れみたまえ』と言ってどうなる?目に見えないものに縋ってどうなる?この歌は好きじゃない」というところがミカという人間性を面白くしている鍵でもある。つまりミカは極めて神話の天使ミカエル同様の行動をとっている(エデン条約の阻止:「ミルトンの「失楽園」ではミカエルはアダムとイヴを追放する役割を持つ バルバラ、模倣との戦い:ヨハネの黙示録でミカエルは無数の悪魔と戦い勝利を収める)にも関わらず、自分の意志としては神を否定する。

ここから、人の意志の前に人の性質が表に立つという構図が見える。

そのため、ミカのKyrie Eleisonを否定するセリフを入れている。

 

ミカは結局のところ、成り行きであらゆる罪を背負ってしまっただけで本質は利他の精神があるように思える。

 

 

以上が全体として描きたかったもので一人の登場人物を神話としてなぞる実験的なMADになった。細かい部分で言えば、キリスト教典礼色を混ぜながら背景を作成したりとしているが、大体書きたいことは書ききってしまった。

 

宗教特有の神聖さや不思議さ、神秘性はBGMやステンドグラス、大量のアトリビュートに任せているので色々と小難しいMADになってしまった。

これが面白いMADとはまるで思わないが、こうして書いておくことでMAD作者が何を考えながら作っているかなど参考になるかと思ったので書き残した。

 

(結局、映像から伝わらなければ意味がないのだが…

 

 

【MAD】Waltz For The Endの話

あけましておめでとうございます。Pluviaです。
2022年もあっという間に終わりまして、2023年になってしまいました。
年々、1年が過ぎるのが早くなってきており、焦りを感じる今日この頃です。

さて、2022年の年末にNGFというノベルゲーのみを対象とした静止画MADイベントを
開催しました。

MADMAXの裏番組ともなっていたので、あまり見れていない方もいるかもしれませんが、普段はあまり投稿されないノベルゲー、ギャルゲ―、エロゲーといったADVジャンルのゲームを題材としたMADが沢山提出されました。
(本当に物凄い量とクオリティで驚いています。

今回の運営にあたって、いつものように朝奈さん、KAZAMIさん、いざなぎさんと協力しながら、開催をしています。
NGF運営に協力いただいたメンバー、参加いただいた方々、見ていただいた方に
ただただ、ありがとうという気持ちでいっぱいです。

 

NGFについては僕も参加者の一人として提出したので他の人を真似て少しMADの編集メモのようなものを書いてみようかと思います。

あまりこういったMAD解説の記事は書かないのですが、久々に書こうと思います。僕はあまり映像に興味がないのにMADを作っている変な人間なので、
そういう人間がどんなことを考えながらMADを作ってるか、、みたいなところで参考になればと思います。
(不条理狂詩曲も書きたかったけど、断念してしまった…!

 

今回投稿したMADはこれ↓


内容としては(1)タイトル (2)曲 (3)テーマ (4)技術
あたりに分けて書いていきます。

 


(1)タイトルの話

タイトルはビル・エヴァンスの名盤、「Waltz for Debby」から取っています。
ビル・エヴァンスの中でも屈指の演奏だと思いますので興味がある方はそちらも
聞いてみることをお勧めします。
本来であれば、「Waltz For Fillia」か「Waltz For Hadaly」としてしまっても
良かったのですが、あまりにストレートな気もしましたので人名ではなく、
「終わり」に対してのMADということでこのようなタイトルとしています。

 

(2)Magic Waltzの話

今回、使った曲「Magic Waltz」は1998年に公開された「海の上のピアニスト」という映画の中で使われている曲となります。
この映画ですが、イタリアの巨匠、ジュゼッペ・トルナトーレエンニオ・モリコーネが音楽を手掛ける夢のタッグのような映画で劇中の至る所でピアノ音楽が使われています。
この「Magic Waltz」という曲、意外にも映画サントラに入っていません。(サントラ見てないことに絶望したのをよく覚えています)
ただ、映画内での使われ方が非常に印象的だったため、ファンも多く今でもピアノでの弾いてみたなどがyoutubeに上がっていたりします。

海の上のピアニスト」について簡単に解説すると豪華客船ヴァージニア号で生まれ、生涯を終えたピアニスト「1900 T.D.レモン」という男の話です。彼は船上で生まれ捨てられ、黒人機関士のダニーに育てられますが、いつの頃からか豪華客船内で設置されているピアノのとりことなり、船でピアニストとして活躍するようになります。
彼は陸が近づいても船の中の世界以外を知らないため、絶対に下船することはなく、ただ船上でピアノを弾いて暮らします。
そんなある日、物語の主人公とも言えるトランペット吹きのマックスと出会います。
そして、そんなマックスとの印象的な邂逅のシーンでこの曲が使われます。

 

僕が解説するより見た方が早いのでyoutubeの動画を貼っておきます。


www.youtube.com

「ピアノのストッパーを外せ」と1900が言ったので、船の揺れに合わせて
ピアノが乗り物のように動いているんですね。
マックスの笑顔の表情からも分かる通り二人の心が通う名シーンです。

以前からこの曲を使おうと思っていたのですが、この曲の優雅さや深みに合うような
ノベルゲーに全く巡り合わず10年近く経ってしまいました

僕が「Magic Waltz」を聞いてイメージするのは「二人だけの旅」
劇中の映像にもあるように船の荒波もあり、乗り物のようになったピアノが
二人を運んで優雅に旅をしていくイメージです。
「終のステラ」もジュードとフィリアの旅がテーマで、その旅は過酷ながらも
二人の気持ちが通い合う瞬間がどこか優雅で美しい作品だと思いこの曲を使っています。

もし、少しでも「海の上のピアニスト」に興味が出た方は名作なので、是非見てください。ジュゼッペ・トルナトーレエンニオ・モリコーネのタッグは「ニューシネマパラダイス」もやってたりしますが、個人的には「海の上のピアニスト」も負けず劣らずの作品だと思っています。

 


(3)Waltz For The Endのコンセプト、テーマ

今回のMADを見ていて、初見の人は登場人物の気持ちが乗ってこなかったのではないかなと思います。
つまり、ジュードやフィリアが何を考えているのか、ほぼ読み取れなかったという感想が多数ではないでしょうか。
その理由はとても簡単でこのMADが登場人物のセリフを一切使ってないからです。

これがこのMADの特徴で物語としてのエンターテイメントや登場人物への共感という目的を捨てて、「アンドロイドという存在は何なのか?」という命題のみに焦点を絞ったためにこのような形になっています。

この「アンドロイドという存在は何なのか?」という命題に対して、過去の創作物や哲学の思考実験を用いてアプローチをするとどのように「終のステラ」を再構成できるのか、このあたりが今回のMADを作る上での最大の目的です。


基本路線は引用①~③のセリフで終のステラを表現しつつ、映像表現として引用④~⑩の小物で舞台設定やテキストの内容をフォローする形で作成しています。

 

・引用①「未来のイヴヴィリエ・ド・リラダン

ヴィリエ・ド・リラダン執筆の世界で初めて「アンドロイド」という単語が使われた小説です。
この作品は終のステラのクライマックスでウイレムが「エワルドにとってのハダリーに過ぎない」と引用しています。

簡単に本の内容を書くとトーマス・アルバー・エジソンが人間にどこまでも近づいた機械であるアンドロイドを作りだしエワルドという貴族に提供する話です。

エワルドはミス・アリシアという女性に一目ぼれをするのですが、精神が美貌に伴っておらず、エジソンに相談するという展開から話が始まります。
エジソンハダリーというアンドロイドをミス・アリシアに似せて作りだしエワルドへ与えるのですが…


終のステラに置き換えるとハダリーに自我を吹き込んだのがエワルドですが、フィリアに自我を吹き込んだのはジュードです。自我を吹き込み初めてアンドロイドは人間となります。

この話は物理主義ないしは機能主義的な考え方で人の魂(感情)は物理的に再現できるという考え方に則っているように思います。
ただし、最後を読むとこの物理主義の考え方を突き詰めることで人は倫理から外れてしまう、神の怒りを買うのではないかと警鐘を鳴らしている作品のようにも思えました。

今回、冒頭からエジソン肖像画を入れていますが、これは未来のイヴの再現となります。
エジソン肖像画だけでは分かりにくいので彼の発明の中でも有名な電球をシーンに入れていたりします。
また、終のステラの時代はオーバーテクノロジーなので歯車とかそんなものは一切なかったようにも思いますが、この時代の考え得る機械に沿って少しアンティークな形で表現しています。

そして、この話は1章に一つ、ゲーテやらダンテやらの引用で始まるのでそこから着想を得て、今回のMADが引用の山になったという経緯もあります。

 

・引用②「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」 フィリップ・K・ディック

フィリップ・K・ディックの小説。映画「ブレードランナー」の原作であり、あらゆる作品で引用されるほどの知名度を持つ、「アンドロイドと言えばこれ!」という作品。
賞金稼ぎのリックは脱走したアンドロイドを破壊することで生計を立てています。彼は自宅で電気羊という外見は羊だが、中身は機械というものを飼っており、いつかお金を稼ぎ本物の羊を飼いたいと考えています。(本物の羊は高いのです)
そして、レイチェルという人間に近いアンドロイドを愛しつつも最終的に破壊対象のアンドロイドを全て破壊します。
この作品でのアンドロイドと人間の判別は感情移入、共感が出来るかが一つの指標となっています。
そのため、共感能力がないアンドロイドは電気羊の夢を見ないという結論になっているのではないかと思います。
ただ、今回の終のステラで登場するフィリアは共感能力もあり感情移入が出来るため電気羊の夢を見ることが出来ます。
レイチェルが持っている護身用のおもちゃの銃というのも、終のステラで登場するおもちゃの銃とリンクしますね。

 

・引用③「R.U.R(ロッサム万能ロボット会社)」 カレル・チャペック

チェコの作家、カレル・チャペックによる戯曲。恐らく「ロボット」という単語が初めて使われた作品です。
ロボットが感情を持ち、人間に対して反乱を起こし結果として人間は死滅しロボットのみの社会になるのですが、
最後の最後で生殖能力が無く未来がないことをロボットたちは嘆きます。
ロボットの製法も失われアルクイストという大工だけしか人間はいません。
製法を知るには生きたロボットの解剖が必要なのですが、解剖=ロボットの停止を意味します。
ラストでヘレナとプリムスという二人のロボットがロボットという種の存続ではなく、
お互いを思い合いアルクイストの解剖に反対します。
その時にそのロボット同士の思いに感銘を受けたアルクイストが
「行くがいい、アダム。行くがいい、イヴ。世界はお前たちのものだ」と言います。終のステラのジュードはフィリアのために種の繁栄を諦めていると捉えられるのでとても似た構図だと考えています。

 

・引用④「渚にて」ネヴィル・シュート

第三次世界大戦、核戦争後の世界を描いた小説。今回は終のステラの荒廃した世界観を一発で言い換えられるので、渚にての映画版ポスターを登場させています。黄昏時のディストピアとしては一番分かりやすい舞台設定だと思います。

 

・引用⑤ 「マリー(メアリー)の部屋」 フランク・ジャクソン


フランク・ジャクソンが提唱した思考実験の一つで、物理主義や機能主義の反論となります。
白黒の部屋に入ったマリーはテレビや本などの情報媒体から「赤」がどんなものかを理解しています。
そのマリーが白黒の部屋を出て、外で「赤」の実際に見た時に何か学ぶことはあるのか?学ぶことがあれば、この「赤を見た」という経験を除外した機能主義という考え方に誤りがないかという考え方です。
(つまり、アンドロイドは情報だけで赤という感覚を得られるのかということ)

 

この「赤」というのは哲学でよく言われるクオリア哲学的ゾンビの話とリンクしています。
僕はフィリアは人間とは違う形で構成されているが、アンドロイドが持つ機能がクオリアも含めて再現出来れば
あながち機能主義の考え方も誤りがないのではないかと思ったので、「白黒の部屋の外で赤を知る」とテキストを入れています。
現に他のアンドロイドものの創作物もクオリアを再現できるものとできないという主張に分かれて、前者はアンドロイドと人は分かり合える、後者はアンドロイドと人は違うという結論になっているように思います。
終のステラは思いっきり前者寄りなので前者で寄せてMADも作ってます。

 

・引用⑥「女性の三時代」 グスタフ・クリムト

「終のステラ」のジュードの深いトラウマとして妻と娘を捨てて仕事を優先した結果、二人を流行り病で亡くしたという出来事が挙げられます。
そのため、ジュードが見ている「女性の三時代」に描かれる成年の女と幼少の女は妻と娘に当たります。もう亡くなっているので破れています。
絵を使うというアプローチは非常に簡易で捻りもないのですが、かつてキリスト教が宗教画やステンドグラスの絵で文字を読めない人に対して
教義を広めたのと同様に今でもとても分かりやすいアプローチだと感じます。

 

・引用⑦「中国語の小部屋」 ジョン・サール

ジョン・サールが提唱した機能主義に対する反論としての思考実験です。
小部屋の中に英国人がおり、小さい穴から中国語が書かれた紙が投げ込まれます。
英国人は中国語の完全なマニュアルに従い、回答文を作成して外に返します。
英国人は一切、中国語を理解していないが、小部屋の外にいる人は小部屋の中にいるのは中国人だと錯覚します。

これをアンドロイドで置き換えると、小部屋全体がアンドロイド、中にいる英国人がCPUという形になります。
つまりアンドロイドは人間と同様の心の機能を持ち返信しているのではなく、単純なプログラムに沿って返信しているという考え方です。

同じアンドロイドを扱ったATRIはフィリアよりもクオリアの再現が出来ておらず、
この小部屋の反論でアンドロイドと人間の違いを浮き彫りにしたように思いますが、フィリアは再現度が高いため、あまりこの思考実験では反証できないように思います。

 

・引用⑧ 実存主義 ジャン=ポール・サルトル

サルトルで有名な実存主義がアンドロイドにも適用されるという文脈を入れています。
人が神の創造物であり、神が本質(目的)を人に与えたというキリスト教的な構図はアンドロイドにも同様のことが当てはまると考えています。アンドロイドも目的をもって作られるわけですので。
しかし、フィリアは目的をもって作られるも最終的には目的外のことをするわけで、いわゆる運命論から外れた実存を先に確立している…つまりアンドロイドも人と同様の機能が作られれば実存主義が適用されるという解釈になります。

 

・引用⑨ 「大公の聖母」 ラファエロ・サンティ

ラファエロの描いた聖母子像の中でも特に有名な作品です。本来これを母と娘の表現で使っても良かったのですが、
キリストは男性であるため娘の表現と解釈が一致せずにクリムトを採用しています。
聖母子像のマリアは「彼女は人類の希望だ」と言える普遍的存在と考えています。これがいわゆるフィリアの存在となります。
哲学はニーチェにしろサルトルにしろ思考停止な旧キリスト教的な考え方への批判から入る気もしているのですが、
希望の象徴として神の存在は極めて分かりやすく、使いやすいため、あらゆる人は神を頼りがちになってしまうことが皮肉めいているように思います。
僕がMADの引用で思想は実存主義をとろうと希望の象徴は否定される神の絵以外に浮かばなかったのは大きなジレンマかと。。
ニーチェの超人概念でツァラトゥストラが普遍化されてたら別なのかも

 

・引用⑩ 「イサクの犠牲」 レンブラント・ファン・レイン

また、宗教画が出てきました、ということで有名な旧約聖書のイサクの犠牲です。
いわゆる神のために子供を犠牲に出来るかという観点です。
神が人の信仰心を試した話というところですが、終のステラの共通点としては
ジュードの最後の決断にあると思います。

ジュードはフィリアを差し出せば人類の繁栄が約束される、一方で旅先でPhiliaにまで昇華された愛を考えるとフィリアを差し出せません。
そのため、ジュードはまたもイサクの犠牲の前で悩んでしまいます。

 


引用については以上で終わりです。
全体を通して緩急と三拍子を意識して作成しています。
インストになるとサビがなかったり歌詞で情感を表現できなかったりで辛いところがあるため、その分、しっかりと見せ場を作ってあげる必要があります。


また、変化も意識して作っています。


・絵の変化
アンドロイド→人へ
日陰→日なた

 

・銃の破壊
おもちゃの銃の破壊=アンドロイドからの脱却(ロボット三原則からの解放)


・リンゴの変化
リンゴが赤くなる=赤を理解した、クオリアを得たということ。
リンゴである理由はアダムとイヴの口にした知恵の実から来ています。

 

 

(4)技術

3D部分についてはBlenderを利用しています。最近はBlenderにも高機能なアドオンが増えて、お金を出せばクオリティアップが出来る時代になりました。。凄いですね。

以下、利用したアドオンです。

・botaniq
・Physical Starlight And Atmosphere
・Gravity rope
・RBDLab
・BoxCutter
・HardOPS
・OCD
・Easy PBR
・Random Flow


筆記体のようなフォントはLa Bohemiennneというフォントを利用しています。

色調の調整はLooks、髪揺れなどは残念ながらまだAEのパペット機能です(Live2D移行したい…)


全体として色調は落ち着いた彩度低めなものを使いつつも、ダークレッドを一部の場面で使い、アクセントを加えています。

 


ということで今回のMADは非常に分かりにくかったですが、Pluviaっぽいというコメントもありアプローチとしてはありだったのかなと思います。

今後もストーリートレースな形で作りつつも時々、少し変わった形でのMADの作成もやっていければと考えています。


以上、また次回作でお会いできればと思います!

 

 

エロゲMAD大紀行 〜絶滅したMAD作家編 1.遠野みりん編〜

みんなで広げようエロゲMADの輪。
エロゲMADは数少ない凋落の文化である。
グダったシナリオをポエムにて改変するもの、そこはかとないエロスを漂わせながら編集するもの、パンチラ部分の切抜きやおっぱい部分の描き足しに興奮するもの、その容態は多種多様であり、ガラパゴス諸島のゾウガメのように島ごとの進化を遂げたものが多くいる。


このシリーズも三回から既に一年が経とうとしている。
一年というものは早いものであり、もう筆をとることもないかと考えていたが、丁度、今人気が出ているフレンズが沢山出るアニメにあやかり、この機会に再度、記事を投稿しよう、そう考えたのである。


さて、今回のテーマは少し寂しい。かつてエロゲMAD作者として活躍していたが、社会の闇に飲まれたのか、リアルに人生を楽しむようになったのか、消えていった者たちがテーマだ。いわゆる、絶滅したフレンズたちが本シリーズには多く出てくるのだが、彼らがいつかこの記事をふと目にした拍子に昔を懐かしむ一つの切っ掛けになれば嬉しいことこの上ない。


紹介に入る前にエロゲMAD作者を取り巻く環境について簡単に紹介しておこう。そもそもエロゲとは18禁ゲームであるため、ラノベや漫画MAD作者と比較し、年齢が大学後半から社会人、いわゆるおっさんであるケースが大多数である。(ビデオテープ時代のアニメMAD作者と比較すると若いおっさんとも言えるだろう)
そのおっさんたちの多くは、学生時代にエロゲにはまり、そして何故かMADにはまり、
社会人になって、理不尽なパワハラやブラックな残業に飲まれ、半数は消えていくという悲しい運命が待ち構えている。中には巧妙に名前を変えてエロゲデモ作家となる出世魚のような作者もいるが、それも少数である。結果的に残ったおっさんたちが、社会への怒りをエロゲMADに昇華させながら、細々と作り続けている。


前置きはそろそろ終わりにして本題に入ることにしよう。
以下、敬称を省いて書く。



〜遠野みりん編【絶滅種】〜


岩手県遠野市奥州市、大船渡市に隣接する山間部にあり、柳田邦夫の「遠野物語」より古来から伝奇、怪奇といった雰囲気がある不思議な地である。平泉の藤原氏が建てた滅びたみちのくの都、宮沢賢治の出生の地である花巻までも釜石線奥羽本線により辿り着ける、歴史・文学・伝承が交錯する地で遠野みりんは生まれた。(遠野というHNからしてそれは間違いない)


zoome時代の後期にエロゲMAD作者としてデビューした遠野。
その作風も初期は遠野市ゆかりの伝奇的な雰囲気を醸し出していた。



殻ノ少女- PureLove_sTory

http://v.yinyuetai.com/video/274845



天野月を使ったイノセントグレイ、殻の少女のMADである。当時ずーみーでは非常に異彩を放った作品であった。その頃のずーみーはアニメが大半を占めている中、静止画は禁書、エロゲはキャラゲーという時期である。そんな中、ノスタルジックな雰囲気を持つこのMADに私はエロゲMADの新たな時代が来たことを予感した。新たな風である。


彼の作風の特徴は頑ななまでの明朝体へのこだわりである。
彼は英字であればセリフ、日本語では明朝以外のフォントを使わないように心がけていた。

そもそもゴシックなど、なよなよとしていかん、男なら明朝であるべき。
トメやハネがしっかりしていない文字を見ると直さずにはいられない。
そんな性格だからこそか、彼のMADは芯が通っているように見えるのである。


その後、IoriStudiosというAMV団体に所属した後、掛け持ちで野良MAD製作所にも所属することになる。MADのこだわりとは別に話してみると物腰柔らかく丁寧である。
そのため人望も厚く、ホモ疑惑を除いては比較的多くのMAD作者から好かれていたため
合作に誘われることも多かったようだ。


彼の個人作をもう少し紹介することとしよう。




【MAD】11eyes-For a Friend And Tomorrow -


スピード感のある編集。多種多様なカットがひしめく構成には序盤・中盤・終盤と隙が無い。11eyesはただの中二病だと揶揄する人間もいるが、このMADを見れば考えが変わるに違いない。とにかく熱量が半端ないのだ。そして明朝体もいい味を出している。途中で出てくる剣を持ったおっさんが誰かは知らないが、まるで在りし日のエロゲプレイヤーとダブって私には見えたのである。とにかくカッコいいMADなので是非ご視聴いただきたい。




【MAD】はつゆきさくら-SnowyCrystal-

かつてギャグ7割シリアス3割と某氏が語っていたはつゆきさくらのMADである。
はつゆきさくらはゴーストが出てくる伝奇的な作品である。これだけ可愛いキャラたちがいるのにその背景は実に陰鬱。復讐がテーマの作品だ。

それを遠野は0:34の「復讐を」という明朝体で一瞬で視聴者に分かるように表現している。ただ、彼はこの作品のギャグ要素も表現しようとした。ここに彼の悩みや葛藤が見える。初めて明朝体を使わない可愛い文字を使いキャラを紹介するという、自分の主義と相反する作風。失敗すれば、自分のこの作品は破壊されてしまう。だが明るい雰囲気も表現しなければならない。この時の心労は筆舌に尽くしがたいものがあるだろう。

その決断は結果として功を奏した。彼のこの作品は「発売前の奇跡」と呼ばれ、話題となる。体験版しかプレイをしていないのにMADを作る戦闘狂のような作者は彼を除くと、以前紹介した「回転のかざみ」と「世界のhaira」以外には存在しない。多分。体験版だけで作ったのにまるで全部ストーリーをやっているかのごとく、見せる手腕は尊敬に値するものなのだ。



その後も彼は作品を作り続ける。彼の活動は幅広く、ラノベ、アニメにも造詣が深くラノベ静止画やAMVも作成している。




【MAD】マブラヴ-DOG FIGHT MEMORIES-

そして彼の集大成ともいえるのがこちらの作品である。
1分半なのにまるで1時間半のマブラヴ映画を見たような気すらする激しい編集が人気を呼び、マイリス約800という非常に良い成績をおさめ、かつ吉宗鋼紀も巡回した。激しいカメラワークは初期のおどろおどろしい雰囲気はなりを潜め、ほとばしる熱いパトスな雰囲気だ。そして見どころは0:52の三人の構図である。とりあえず三人置いとけばカッコいいかという安易な考えではなくサビへの高まりを出すために必要なワンカットなのである。さらにこの作品もふんだんに使われている明朝体が作品をキリッとひきしまったものにしている。素晴らしい作品だ。


彼の進化は続き、2013年にはDEARDROPSのMADを投稿する。



【MAD】DEARDROPS-未来への旋律-


なんだ、この熱量は。疾走感と音ハメが実に気持ちよくDEARDROPSの雰囲気にあったロックなMADである。サビの歌詞は何を言っているか分からないが、なんか編集がカッコいいし多分いいことを言っているのだろう、そう思わせるようなMADに私は感動を覚えた。やはりカット数が多く熱いMADは正義なのだ。そんなMADを出した遠野を当時の私は尊敬の眼差しで見ており、大きくなったら遠野みたいになるんだ、そう考えていた時期もあった。



しかし、2013年ごろから彼は社会の闇に呑まれる。ブラックを体現したような勤務状況を聞くたびに私は心を締め付けられるように思った。そして自分探しの旅に出て、東京喰種のMADを最後にその姿を見ることはなくなってしまった。


社会はMAD作者に対してはどこまでも冷たい。そんな理不尽さに耐えて、MADを作り続ける人間は少数だという。日本で絶滅が確認されたトキが輸入されたように彼が再び復活することを願い、結びとする。
(この記事に一部、誇張表現があることをお許し頂きたい)


(2017年2月25日 Pluvia)

MAD ARCHIVE SM@D×SM@D 2007

MAD系イベントのページもサービス終了などによって、どんどん消滅しているため、自分が確認できたものをのこしていきたいと思います。


SM@D x SM@D 2007 について

「SM@D x SM@D」は動画投稿サイトではなく、HP公開が主流の時代に新人発掘のため、行われた大会である。
以下、当時のHPより。
(現在は消滅 http://smad.mad-movie.net/2007/index.php


■スケジュール



■参加作品


一日目


作品名:starry arpeggio
作者名:F



作品名:こんにちは⇔さようなら
作者名:kerown



作品名:禁じられた契約
作者名:ZRDX



作品名:アシタヘ
作者名:おもぷらった



作品名:a tale of twilight
作者名:カズヤ



作品名:FULLMETAL Triangle〜その手は何を〜
作者名:ノヴェール



作品名:aozora
作者名:水閃



作品名:春風
作者名:呂律




二日目


作品名:RED ZONE
作者名:goldwing



作品名:Song to you
作者名:Lian



作品名:Noire Neige
作者名:torpedo



作品名:maid of sword
作者名:ウィード



作品名:戦う司書
作者名:ナンジ



作品名:THE 「32 103 63°93」
作者名:のっぽ



作品名:アル日〩ノ記憶
作者名:もぐら




三日目


作品名:Craymore
作者名:Hi-G



作品名:Shana - First battle
作者名:HINOTO



作品名:lrragionevole
作者名:kuroameman



作品名:you give
作者名:ラクスク



作品名:platonicanthology
作者名:夏希



作品名:as close as possible
作者名:奈緒



作品名:immortal†worlds
作者名:匣庭クルリ



四日目


作品名:Selenite
作者名:Moon



作品名:Gundam Wing - Endless History
作者名:Quatre=J.B.J



作品名:carmine
作者名:こんいろ



作品名:squall
作者名:ルリシス



作品名:ef-eof,bol
作者名:沙羅



作品名:la bella e la bestia
作者名:朱華



作品名:限界なのは
作者名:白虎




五日目


作品名:THR
作者名:FLIR



作品名:Only One
作者名:Lesath



作品名:Light Taker
作者名:sibito



作品名:In the sky
作者名:すにゃ



作品名:ベンチの上から俺は、
作者名:枝切司



作品名:すくぷろ
作者名:朝霧 楓




■投票結果

1.大賞


朱華 la bella e la bestia 183票
ルリシス squall 71票
朝霧 楓 すくぷろ 63票



2.動画大賞


ルリシス squall 151票
おもぷらった アシタヘ 63票
ラクスク you give 61票



3.静止画大賞


朱華 la bella e la bestia 122票
朝霧 楓 すくぷろ 57票
Hi-G Craymore 30票



                                                                                                                                                                      • -

以上、
SM@D×SM@D 2007のアーカイブとなります。

MAD ARCHIVE SM@D×SM@D 2009

MAD系イベントのページもサービス終了などによって、どんどん消滅しているため、自分が確認できたものをのこしていきたいと思います。


SM@D x SM@D 2009 について

「SM@D x SM@D」は動画投稿サイトではなく、HP公開が主流の時代に新人発掘のため、行われた大会である。

以下、当時のHPより。
(現在は消滅 http://smadunei.6.ql.bz/
http://blog.sina.com.cn/s/blog_731e12fd01012r4f.html
http://flsnow.net/read.php?tid=23946&displayMode=1


■SM@D×SM@D2009の目的
イベントを通じて作家同士の親睦を深めよう!
MAD製作に関する知識を深めよう!
MAD作りの醍醐味を知ってもらおう!
単に作って公開だけでなく競い合うことでよりいいものを目指してもらおう!
いろんな人にMADというもの知ってもらおう!
いろんなMADを見てもらおう!


■参加資格

1.2008年以降(2008年1月〜現在)にデビューした新人作家様。
注)身内限定でMADを初めて公開した場合はこの対象外になります。

2.今大会でWEBデビューしたいとお考えのMAD作家

3.前回大会参加者はたとえ08年以降にデビューしたとしても参加は不可とさせていただきます。

4.参加表明につきましては外部サイトの掲示板の「スマスマ2009参加表明トピック」でしていただきます。

※基本的にイベント全般に関する質疑応答はすべて外部掲示板の質問受付でお願いします。



■SM@D×SM@D2009のイベント形式
(※現在調整中です、内容は予告なく変更することがあります。)

この大会ではまず参加者は紅組、白組のどちらかに分かれてもらいます。そして各日程ごとにそれぞれの組から3名一組としてチームを組んでいただき、そのチーム同士で勝敗を争ってもらいます。この各日程の勝敗ポイントの総数によって最終的に紅、白の勝敗が決定いたします。

投票は公開と同時にその日で行われ、その日のうちに集計し結果を発表します。

またこれとは別に個人投票も行われ、全参加者の中から各賞(MVP等)が選ばれるようになっています。



■公開などについて


1.動画はまず運営によって動画サイト”ニコニコ動画”にて順次公開していきます。

2.大会終了後、もしくはニコニコ動画に公開した後、ファイル(オリジナルファイル)はBT(BitTorrent)を通じ  て配布いたします。ファイルはすべて公開します。
ニコニコ動画用と配布(オリジナル)用のファイルが違う理由はオリジナルの高画質、高解像度版が欲  しい方のためです。(関連:提出作品に関して3)



■提出作品に関して

1.完全新作のみです。

2.一人一作品までです。

3.ジャンルは問いません、静止画、動画、ネタ何でもありです。

4.ファイルは2種類提出していただきます。

一つはニコニコ動画公開用です。 コーデックや圧縮方法についてはこちらで指定させていただきます。詳細ページは後日設置します。
おそらくファイル形式MP4(h264)、解像度512×386(4:3)、512×288(16:9)になると思います

もうひとつは配布用です。配布用のファイルのフォーマットの指定はありません。ただしファイルサイズがZIPで上限100Mまででお願いします。上記の規定に違反した作品は大会上での公開と参加の権利を失います。




■告知・参加募集・ファイルの提出期間・紅白への振り分け・対戦相手の発表について



1.大会開催期間
2009年10月10日〜 参加人数によって開催期間は調整します。


2.参加者上限は100名までとします。参加表明が早い人から順に埋めていきます。


3.募集期間 7/12(日)0:00から8/12(水)23:59まで
参加希望者が100名を切った場合でも救済措置は設けませんので、なるべくお早めに御願い致します。


4.ファイル提出期間 
大会開催一週間前、10/3(土)23:59までに最終的に参加できるかどうかの表明をしていただきます。この参加意思表明と同時に作った動画を提出していただきます。


5.紅白への振り分けは開催日3日前に行います。


6.対戦チームの発表はニコニコ動画に公開する日の前日に発表します。




■投票について

投票につきましては作品をニコニコに公開したその日に、FC2投票を利用して投票していただきその日のうちに集計し結果を発表します。

―得点について―

 投票ポイントは各日程ごとの対戦チームの人数によって異なり、3対3の場合3pt、2対2の場合2ptを視聴者、参加者共々好きなチームに好きなように配分していただきます。

例)1日目:紅組3名対白組3名

紅3pt 白0pt
紅2pt 白1pt
紅1pt 白2pt
紅0pt 白3pt

またこの投票とは別にボーナス得点というものが与えられるようになってます。
具体的には 全開催日の中で一番多くの投票を得たチームはボーナスとして○○点加えます。各開催日の中で一番多くの投票を得たチームはボーナスとして○○点加えます。○○は未設定です。

なぜこのような仕組みにしたかというと早期に紅、白の最終的な勝敗がわからないようにするためです。


同時に個人への投票も行います。
MVP賞、静止画大賞、動画大賞、ネタ大賞、萌え大賞 それぞれ各一名への投票を御願い致します。個人投票で各賞に選ばれた方には、任意でコメントをいただく予定です。

以上の内容に同意していただき参加してみようと思う方は外部掲示板「参加表明トピック」での参加表明をお願いします。



■参加方法について

1.自分が参加できるか確認しましょう。

レギュレーションを熟読の上、自分に参加資格があるかを確認します。不明な点がありましたが運営側までご相談ください。


2.運営側に連絡をとりましょう。

自分に参加資格があり、当大会に参加したい場合は運営側に連絡します。連絡方法は外部掲示板を利用していますのでこちらから、もしくは左のコンテンツの掲示板からスマスマ2009参加表明トピックへの書き込みをお願いします。


3.参加表明から正式登録までの流れ

参加の認証は基本的に自動的に行われます。
応募期間の間は参加表明トピックに書き込まれた順番に参加の仮登録が行われます。参加表明が100名に達した場合募集はそこで一度打ち切ります。
そして応募期間が終わり、参加者がレギュレーションに違反していないか確認した後正式登録され、このWEBサイト上で参加者の公表が行われます。


4.大会参加が認められた後

運営側より大会の参加が認められた後は、大会提出用の作品の制作に取り掛かってもらいます。作品の形式についてはレギュレーションをご覧ください。



■スケジュール


7/11 HP公開
10/10 イベント開始
10/17 動画投稿終了


■参加作品

紅組
http://www.nicovideo.jp/mylist/15185502

白組
http://www.nicovideo.jp/mylist/15185515




■結果発表


○紅組 1094pt
×白組  880pt



1.MVP賞


作品名:Cyanic Inscription
作者:Evanlet



作品名:優しい世界の嘘と真実 
作者:偽名翠 


  
作品名:きっとまた、未来で  
作者:神無月下弦


2.静止画大賞

作品名:優しい世界の嘘と真実 
作者:偽名翠 



3.動画大賞


作品名:【MAD】 涼宮ハルヒ 『気分上々 ↑↑』 
作者:ziro



http://www.nicovideo.jp/watch/sm8508102(跡地)
作品名:【MAD】化物語×光の空のクオリア 
作者:豆腐製作所



4.ネタ大賞



作品名:【バトルドーム】ツクツクのうた【ロコロコ】
作者:lemonjam


5.萌え大賞


作品名:¥120の夢風船
作者:四月


MVP 投票結果
1.Evanlet  23
1.偽名   23
3.神無月  20
4.橘青 16
5.Ziro 11
5.Resonant 11

                                                                                                                                                                      • -

以上、

SM@D×SM@D 2009のアーカイブとなります。

MAD ARCHIVE SM@D×SM@D 2006

MAD系イベントのページもサービス終了などによって、どんどん消滅しているため、自分が確認できたものをのこしていきたいと思います。


SM@D x SM@D 2006 について

「SM@D x SM@D」は動画投稿サイトではなく、HP公開が主流の時代に新人発掘のため、行われた大会である。
以下、当時のHPより。
(現在は消滅 http://smad.mad-movie.net/2006/index.php


■参加資格
1.2005年1月以降にwebデビューしたM@D作家又はこの大会を機にデビューを考えておられる新人作家様
2.例外なく、第1回大会の出場者の参加は不可とします。(未提出者含む)
3.静止画・動画作家は問いません。
4.万が一、出場資格のない方の出場・登録が判明した場合におきましては、このページにて公表させていただきますので、予めご了承ください。
5.参加表明に関しましては主催までメールもしくはBBSに書き込みでお願いいたします。



■公開等について
1.今回は前回と違い、個人戦となります。予めご了承ください。
2.公開期間については第1回と同じく、48時間の公開とします。


■提出作品についての基本レギュレーション
1.原則として、MPEG1DivX・wmvを推奨します。
2.サイズ制限についてはできるだけコンパクトにしていただけるようお願いします。上限はzip圧縮ファイルでの80Mまでとします。
3.解像度については320*240・640*480・640*360でお願いいたします。
4.アスペクト比に関してはWMPで正常に表示されるように設定してください。
5.フレームレートにつきましては、23.976・29.97・30のいずれかでお願いいたします。
6.上記のレギュレーションに違反した作品は大会上での公開の権利を失います。



■告知・参加者募集・作品提出締切について
1.参加者募集期間は2月19日までとします。
2.参加者上限は今の所設けません。ただ、物理的に不可能な人数が集まった場合、募集を締め切らせて頂きますがご了承下さい。
3.作品提出締め切りは4月5日とします。
4.公開開始は4月15日〜とします。
5.未提出・提出遅れに関しましては。本企画での公開権がなくなりますので、予めご了承ください。
6.補欠登録の方に関しましては、全作品公開終了後の公開となりますが、提出期限等に関しましては、他の出場者同様、厳守でお願いいたします。又、こちらも未提出、遅刻などは同様の措置を取らせていただきますので、予めご了承ください。



■投票について
1.投票につきましては、全作品公開後、CGIでの投票となります。予めご了承ください。
2.各賞につきましては、今回はMVPのみとします。得票数上位3名の方には任意でコメントを頂こうと考えていますので、予めご了承ください。



■参加作品


一日目