【MAD】Michaelの話
「語り手と、新世界」の方は、タイトルに反して語るところがない、いつもの文法で作成したMADなので、今回は実験作でアップしたMichaelの解説を書く。
今回、このMADはあまり理解されるつもりがなかったMADであり、「語り手と、新世界」が極めて万人向けに分かりやすいエンタテイメントに振り切っている一方でこちらはアトリビュート、引用を混ぜ元作品とは乖離した雰囲気を作り出そうしたものだ。
MADなんて目が面白ければいい、と言ってしまえばそれまでなのだが、それはいわば絵画が不要でイラストであればよい、楽しい、分かりやすい刺激のみでよいと言っていることに他ならない。そのため、至極シンプルなMADには味わいが薄く、そこに何らかの思想や作者のバックボーン、その作品から得られる主題などを織り交ぜて映像化することで新鮮な気付きを視聴者に与えると思っている。
今回のMADのタイトルは「Michael」という極めてキリスト教の世界観が強いMADとした。このMADで出てくる登場人物は何かしらの現実世界の宗教にあるものの比喩表現、隠喩となっている。
いわゆる西洋絵画が、マネ以前に圧倒的に宗教画を評価されていたことと同様にMADで宗教観を入れることでどのような表現となるか試したかったというのがこの作品の肝である。
そもそもではあるが、ブルーアーカイブのモチーフがあらゆる神話からベースをとっている。シッテム、ヒエロニムス、バルバラなどの名付けも始め、キャラクターのモチーフも天使や悪魔を連想させる作りになっている。ブルーアーカイブは単純にシナリオの妙だけではなく、このような引用やキャラクターの裏にあるモチーフが背負うバックボーンにも面白さがある。
今回のMADのモチーフとなった生徒としては諸説あるが以下のモチーフと解釈しMADを作成している。
ミカ = ミカエル
ナギサ = ラファエル
セイア = ガブリエル
サオリ = サリエル
いわゆるアトリビュートを用いてモチーフとキャラクターの関連付けをしたものである。
ミカ…剣、秤
ナギサ…杖
セイア…白百合
ハナコ…本
サオリ…月
ミカに焦点を当てているためミカのアトリビュートは最も多い。
下記の引用を用いて映像を作っている。
悪魔を倒す聖ミカエル:ラファエロ・サンティ
剣
秤
Quis ut deus:「誰が神に比べられようか」 ヘブライ語でミカエルの意
ミカエル像:ローマ サンタンジェロ城
ジャンヌ・ダルクのステンドグラス
ダニエル書 12章
今回の寓意としてミカをミカエル、あるいはジャンヌ・ダルクと同義に扱ったMADとなる。当初は自分を魔女と考えていたミカが最終的に天使として利他の精神で人を救うという構造とした。
ミカエルはヨハネの黙示録にて竜(サタン)、悪魔と戦い勝利を収めた。ミカがゲヘナを憎むのは天使としての性質が強いからに他ならない。そして、黙示録やダニエル書で救いに現れるミカエルは剣を携え悪魔と戦うのだ。
ミカのエデン条約の戦いもゲマトリアが作り出した模倣、バルバラといったトリニティを神と置いた場合の悪魔と戦う。
その戦いでミカは自己のためではなく、他人の救済のために戦い、祈りながら銃を放つ。
これはミカエルの啓示を受けて戦ったジャンヌ・ダルクをも連想させる。
しかし、ミカ自身が自分の持つ天使という性質を否定するか如く、「『憐れみたまえ』と言ってどうなる?目に見えないものに縋ってどうなる?この歌は好きじゃない」というところがミカという人間性を面白くしている鍵でもある。つまりミカは極めて神話の天使ミカエル同様の行動をとっている(エデン条約の阻止:「ミルトンの「失楽園」ではミカエルはアダムとイヴを追放する役割を持つ バルバラ、模倣との戦い:ヨハネの黙示録でミカエルは無数の悪魔と戦い勝利を収める)にも関わらず、自分の意志としては神を否定する。
ここから、人の意志の前に人の性質が表に立つという構図が見える。
そのため、ミカのKyrie Eleisonを否定するセリフを入れている。
ミカは結局のところ、成り行きであらゆる罪を背負ってしまっただけで本質は利他の精神があるように思える。
以上が全体として描きたかったもので一人の登場人物を神話としてなぞる実験的なMADになった。細かい部分で言えば、キリスト教の典礼色を混ぜながら背景を作成したりとしているが、大体書きたいことは書ききってしまった。
宗教特有の神聖さや不思議さ、神秘性はBGMやステンドグラス、大量のアトリビュートに任せているので色々と小難しいMADになってしまった。
これが面白いMADとはまるで思わないが、こうして書いておくことでMAD作者が何を考えながら作っているかなど参考になるかと思ったので書き残した。
(結局、映像から伝わらなければ意味がないのだが…